たったひとつのこと
自分はいったい何者なのか。
自分とはなんだろう。
私はおとなしい性格だった。
そして、誰にでも優しく親切にした。
だから、お友達には本当に恵まれた。
中学高校で自分について悩んでいた時、この内なる悩みを誰かに相談しようとは思わなかった。
恥ずかしさもあったかもしれない。
難しすぎて、困らせてしまうのではないか。
親にも友達にも相談しなかった。
お友達とは仲良く笑っていたかったから、そんな話はしたくなかった。
家族にも心配かけたくなかった。
自分で解決できれば、それでいいのだ。
いや、解決などできないにしても、ただ我慢して、乗り越えられれば、それでいい。
いまは、それしかできないのだから。
だけど、やっぱり考えてしまう。
じぶんとは、いったい何者なのか。
結局、
考えても考えても、わからなかった。
私は「ナニジン?」
どうして、いま、ここに生きているのか。
どこから来て、どこに行くのだろう。
夜の月を見て、神様に問うても、全然気持ちがらくになることはなかった。
布団に入り、暗闇を見つめながら、目を凝らしても答えは見つからなかった。
そういえば、高校に入学してすぐ、「あ、ガイジンだ」って、通りすがりに言われた。
全然知らない子だったけど、今でも顔は覚えている。
いつものように、聞こえない知らないふりをして通り過ぎた。
もう何度も言われた言葉だから、慣れたように傷つかないふりをした。
でも本当は、中学生高校生になってからのほうが、小学生の時に言われたより、悲しく心傷付いたように覚えている。
相手には、なんてない言葉で、なにも考えないで発言した言葉だろう。
今は、そんなふうに理解できる。
でも、当時の私は悲しかった。
相手は、その言葉に私が傷つくかもしれないとか、発言する前に微塵も考えなかったのだろうか。
もう、高校生だ。
小学生の時とは、ちがう。
高校生になって、チビやデブなど相手に向かって言う生徒はいなかった。
きっと、おとなしい性格の私だから、面と向かえて言えたのかもしれない。
そう思うと、なおさら悔しい。
当時の私には理解できなかった。
気にしても仕方ないから、あきらめるしかない。
そう、忘れるしかないのだ。
いつもその繰り返しで歩いてきたのだから。
その繰り返しで、前に進むのだ。
これはもう宿命だ。
自分に与えられた運命で、おそらく、到底変えることはできないだろう。
それでも、生きていくしかないのだ。
この世のなかには、もっと苦しんでいる人がいる。
ご飯が食べれなかったり、病気で苦しんでいたり、私が想像もできないほどのそれ以上のことがあるだろう。
それに比べたら、こんなのなんでもない。
そして、
私は次第に、こう思うようになった。
とにかく、今、やるべきことを頑張ろう。
そして、嫌なことは忘れよう。
頑張っていれば、必ず救われる。
頑張っていれば、必ず幸せになれる。
神様は、きっと見ていてくださる。
それが、当時の私には精一杯だった。
そして、頑張ったけど、
心のなかのモヤモヤしたものは、いっそうになくならなかった。
どれだけ頑張っても、
どれだけ長い時間待っても、
どんなふうにしても、
心が痛んでも、
葛藤でもがきながら、
たまには、
やっぱり自分とはなにかと模索しながら、
前を向いて、
ただ一生懸命に生きていた。
そう信じることは正しいことだと、私自身を説得するかのように信じていた。