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「たとえ、だれもいなくても」ハーフとして

先日、子供のお友達のお母さんに「ハーフですか」と聞かれた。

久しぶりに聞いた言葉だった。大人になってから、あまり聞かなくなったから。

私を一目見れば、完全な日本人でないことに気づくはずだ。白い肌、茶色の髪、高い鼻、明るい茶色の目、一般的な日本人とは違う。

「ハーフ」という言葉、やっぱり好きになれない。

子供の頃から自分を説明するたびに話していた。何度も使いすぎた言葉、そして何度も聞きすぎた言葉、どちらもその理由だろう。

先日「ハーフですか」と聞かれたとき、まだこの言葉を使っている人がいるのかと、心のなかで苦笑いした。

小学生の時はよく「アメリカ人」と言われた。アメリカとは全く関係ないのに。

つまり「ガイジン」って意味だった。

当時、全校生徒で混血は私だけだった。アジア系はいたかもしれない。でも見た目ですぐわかるのは、私ひとりだった。

今の子供たちの学校には、様々なルーツの子供がいる。珍しいことではなくなった。

少なくとも東京には、うらやましいくらい、たくさんいる。

あの時、誰かもうひとりいてくれれば、幼い自分は安心したかもしれない。

いつも、どこでも、みんなとは違う「ガイジン」だから、そう言われることに慣れてしまって、それが当たり前になってしまい、そう言われても、あまり傷つかなくなった。

そして自分の顔を見るたびに、その言葉通り「ガイジン」だと自分でも思った。

小学生の途中、父の転勤で海外で暮らした。日本人学校に通いだしたら、私のような混血の子供たちがたくさんいた。

その子たちの顔を見て、自分もこんな顔をしているんだと知った。どう考えても日本人の顔ではなかった。

日本人学校では、「ガイジン」と呼ばれることは一度もなかった。
同じ日本人の子供たちなのに、どうしてだろう。

日本人学校で、初めて母のことを「キレイ!」と同級生が言った。母は白人の端正な顔立ちできれいだったが、日本ではいつも「ガイジン」と言われたことしかなかったから、きれいな母だということを初めて知った。

この頃は、まだ幼かった。
誰かに相談したいと思ったことはない。

「ガイジン」と言われても、悲しむだけで終わる。むしろ、だんだん慣れてきた。自分が人とは違うということを、淋しくもありながら受け入れていった。

泣かなかったし、そんなに苦でもなかった。
正直言うと、幼すぎてよくわからなかった。

そして、私は誰にでも優しかった、と思う。

人にされて嫌なことは人にはしない、と決めていた。

だって、
どれだけ悲しいか知っていたから。