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愛する姉は知的障害者

「きょうだい児」という言葉を知っているだろうか?
私は24歳の頃に初めて知った。
きょうだいに障害をもつ人のことを指す言葉である。

私には11個上の姉(長女)、6個上の姉(次女)の2人の姉がいる。長女は、幼いのころに風邪をこじらせて脳に障害が残り、重度の知的障害者となった。

私の子供の頃の姉への印象は、ただ介護が必要な人であった。
声をかけても無表情。
話すこともできない。
ミュニケーションができない。

母が介護の手助けを指示したら、それに従い手伝っていた。その時は家族愛などはあまり持っていなかった。放課後に友達と遊びに行くことに罪悪感をもつため友人と遊ぶことは少なかった。だから昔から姉や母と距離を置きたかった。

高校生のころ、母はなかなか姉の病気のことを詳しくはなしてくれないが、
「お姉ちゃんは2、3歳の知的でとまっているんだよ」と教えてくれた。

ああ、だから「アンパンマン」のアニメを見たらテンションが上がってたのかと納得した。

では、2、3歳に対するコミュニケーションを試したらもしかしたら反応してくれるかな?それからというもの、いないいないばーとか、童話を歌うとか、反応がなくても笑顔で話しかけるなどをし続けた。

何ヶ月、何年どれくらいかかったのか覚えてないが、私のいないいないばーに笑い返し始めたのである。

ああ、私の言葉に反応してくれた!
と、今でもあの時の感動は忘れられない。

姉はちゃんと自我をもった人だ、と初めて認識した日であった。

アンパンマンが好き
お菓子が好き
お茶が好き
ポテトサラダが好き
ちらしなどカラフルな紙を見るのが好き
畳でかしゃかしゃ音を鳴らすのが好き

1人の個性をもった人間である。
感情をもった人間である。
喜怒哀楽をもった人間である。
トイレ、お風呂、ご飯もろもろ補助がないと生活できないだけである。

母がいなくなって介護のことはどうなるんだろうという不安はいまもなお続いていが、それは別の記事にて話そうと思う。

きょうだい児で周りの目が冷たい、介護が大変などで苦労されているきょうだい児の方は多いと思う。
私がそこを乗り切れたひとつは、姉を愛せることができたからだと思う。

母以外このようなコミュニケーションを取ろうとしなかったから、今でも私と母にだけはよく目線を合わせて笑顔を出したりするのだろう。

さまざまな環境の方がいると思う。
それで辛い思いをされている方がいると思う。
その中で生き残るためには、その中で愛せるものがひとつでも見つけれたらいいのかもしれない。

考え方、捉え方、接し方次第で心の負担が変わる。

自身がうつ病になってかもそれを改めて実感させられた。
今回の場合は自分のことを愛せるか。
嫌いな自分もいるが、愛せるところがちゃんとある。
そんなふうに自分と接していくことが生きていく上で必要だと思った。

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