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そうだ、病院をつくろう

1カ月前くらいに、医療 × アートの可能性について考える連載をはじめました。

この記事に続いて、なぜ公立劇場に勤めていた私が医療業界に転身しようと思ったかについて綴っていこうと思います。そのプロセスに、医療とアートが連携する可能性がたくさん隠されているように思うのです。

1、ケアの世界と最も遠い劇場

今から10年ほど前に、東京で公立劇場に勤めていた時でした。そこは年に120本以上(つまり3日に1回!)の自主事業を提供していて、コンサートや演劇を楽しみにやってくるお客様とほぼ毎日接点がありました。

それだけ沢山の方と接していると、たまにこんなアクシデントがありました。

ベテランオペラ歌手の往年のファンで、母娘でやって来たお客様。お母さまは車いすで鑑賞。途中で気分が悪くなり、嘔吐してしまいました。別室も、ロビーのモニターもなく、あえなく帰宅を促す私たちスタッフに、娘さんの放った一言。

この日のために、毎日介護を頑張って来たのに…!なんでお母さん、ごはんいっぱい食べちゃったの!!!」

せめて娘さんだけでも聴いて頂くことはできなかったか。体調を確認できる術があれば、本人の再入場も可能になったのではないだろうか…?

新進気鋭の若手ピアニストの日本初演。車いす席には脳性まひの方が座っていました。演奏は素晴らしく、アンコールに何回も応える若いピアニスト。静かにアンコールの一曲を終えようとしたとき、車いす席から「うわ~~~~~っ!」と声が漏れたのでした。

舌打ちをして退出するピアニスト。そして二度とカーテンコールには出てきませんでした。「なんであんな人を入れたんだ。そのせいでアンコールを聴けなかった。」すでに予定公演時間を30分もオーバーしているのに、理不尽なクレームが立て続いたのでした。

感動の仕方は千差万別、個性があっても良いはずなのに。理不尽なクレームに「申し訳ありません」と答えることは、「障害のある人を今後入れません」と宣言していることと同じ態度に思われて、「ああ…そうでしたか…」としか答えられなかった当時の私。

毎回のように公演に見えるお客様。ある日、その方が入場口を通り過ぎた時に強烈な匂いが…。気のせいかと思いそのまま案内を続けていると、奥から「脱糞されているお客様がいます」とスタッフの声。

その方にはすぐにタクシーを呼び、お帰り頂く。衛生上の理由から、そうしたお客様の入場は断ってよいと施設のコンプライアンスを確認する上司。

明らかにその人の認知機能が低下しているのを、フォローできる術を知らなかった私たち。あの時、地域包括支援センターや福祉課とつながっていられれば、その方の楽しみを続けながら見守りができたかもしれないのに。

あれから10年、コロナ禍を経ても、まだまだお客様はチケットを買ってくれる消費者であって、ケアと共に生きる人にクリエイティブに対処する術を持たず、ただ何もしない空気感が多くの劇場で根強く残っている現状に、ため息が出ます。

2、在宅ケアと音楽家の出会い

東京から地元の福井に戻り、地域おこし協力隊として活動していた時、ちょっとしたプロジェクトをきっかけに在宅医療の存在を知りました。

アーティストが一定期間滞在して作品を創作する「アーティスト・イン・レジデンス」をもじって、「アーティスト・イン・ばあちゃんち(Artist in Gramma's Residence)」と名付けたこのプロジェクト。
当時の日本ではまだ少なかった音楽家の滞在制作を広めると同時に、老々介護のじいちゃんとばあちゃんを地域やケア業界以外、つまり音楽家のネットワークで見守る仕組みをつくるべく立ち上がったものです。

※ちなみに…「レジデンス(Residence)」というのが「住まうこと」という意味と同時に、「邸宅・大きな家」という意味も持っていて、田舎の大きな「ばあちゃんち」をうまく表していて、我ながらベストなネーミングだなと気に入っています(笑)。

「この人を看取るのが私の最後の役目」と、円形ハゲを作りながら介護に励むばあちゃんに、少しでもやすらぎと、家に人を招き入れる環境をつくれたらと始めたこのプロジェクト。コンサートの準備段階やコンサート当日は、「これが音楽の力」と実感される出来事が重なって、ますますケアとアートの協働に可能性を感じたのでした。

結果的に、最後まで在宅ケアを入れず、施設に入るまでじいちゃんをケアしたばあちゃんの生き様はあっぱれでしたが、じいちゃんの亡き今、ばあちゃんのグリーフを時おり支える機会としてささやかに機能しています。

3、病院をつくろう

「劇場から最も遠い人たちに、アートを届ける」

劇場は、芸術ではなく、人のためにある 観客数を3.7倍にした劇場がやっていること(湯浅誠) - エキスパート - Yahoo!ニュース

岐阜県にある可児市文化創造センターala(アーラ)ではこのスローガンを掲げて、劇場へのアクセスが難しい人を対象に年間日数365日を大幅に超える数(!)のアウトリーチやワークショップを展開しています。

アーラの存在を知ったのは、ちょうど東京で前述のような理不尽な世界を目撃していた最中でした。当時の私にとって、「劇場は社会に貢献できるのか?」というのが目下のミッションで、この世界で最も芸術を必要としている人に「生きていて良かった」「明日も頑張ろうというメッセージを届けたいと願っていました。

地域おこし協力隊を経て、私が福井で働いていた劇場の横には病院がありました。そこには入院している人がそれなりにいて、きっと娯楽や感動を必要としているのに、なかなか院内での企画が実現しません。手続きに時間がかかるのは理解しつつも、これでは必要な人に届かない

そうだ、病院つくっちゃおう。

病院の中に劇場や、映画館や、図書館やジムがあれば、娯楽や暮らしの感動が奪われずに、健康な人も病と生きる人も一緒に過ごせるんじゃないか。そう考えた私は、勤務を終えるなり世界中を調べてモデルとなる場所を探したり、病院の決算書を読んで財源のありかを探ったりしました。

そんな時、軽井沢で「アーティストのいる診療所をつくりたい」という話が舞い込んできたのでした。それが現在の職場「診療所と大きな台所のあるところ ほっちのロッヂ」です。

(2024.5.16)

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