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自分一人喜ばせることができないのに、まだ人を喜ばせたいの?


いやぁ本当に
自分の喜びさえ分からないのに
他人の喜びなんか分かるかよ〜
って話だよね。


さっき近所の温泉に行って
お湯に浸かりながら思った。


私はね
仕事をする上で「人に喜ばれる仕事」
というのが絶対条件だったんだよね。


人に笑顔になってもらうこと
人に喜んでもらえること。


だから相手の笑顔が直で見れる
接客業を選び続けてきて
喜ばせた感を感じられることを
ずっとやってきたんだ。


人に喜んでもらいたい!
なんて本当は思ってなくて



本当は人を喜ばせることができる
価値のある素晴らしい人間だと
感じたかったんだよね。


私は人を喜ばせることができない
なんの役にも立たない人になるのが
とても怖かったんだ。


私、何のために生きてるの…?


そう感じたくなくて
生きてていいんだって思いたくて
私は人の役に立つことで
自分自身を支えてきた。


ボロボロになればなるほど
自分は人のためにこんなにも
身を粉にしてやっている!
って思えたから


自己犠牲的な生き方に
しがみついて離れられなかった。


だってそれをしないと
私は何も頑張っていない
役に立たない意味のない人間
になるような気がしてたから。


お客様の要求を満たすことが
私の存在価値を高めることであり
両親や異性や友達を満たすことが
私の存在価値を高めた。


人に気に入られることで
私には価値があると思えた。


人を喜ばせたいなんて
本当は嘘。


喜ばせることで
得ることができる何かが欲しいの。


自己重要感とか
自己肯定感とか
存在意義とか


だけど
私は自分を喜ばせることは
スッポリ抜け落ちていた。


自分が何をすれば喜ぶのか
分からなくなっていた。


みんなが喜んでくれればそれでいい
と思える人間にならなくちゃ!
とそうでない自分を否定して
いい人間でいようと生きてきた。


だけどね
自分一人満たせなくて
どうして他人を満たせるだろうか。


そのことに
全く気づいていなかった。


自分を喜ばせるということが
驚くほど下手になってて
何をしたいのか、何が嬉しいのか
私にはそれが分からなかった。


的外れな行動を繰り返し
的外れな自分へのプレゼントをし
本当はそんなの欲しくなかったと
何度も何度もそう思った。


自分を喜ばせる人生を生きよう。


まずはこの決意だけでも十分だよ。


最後までお読みいただき、ありがとうございます♡