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珍島の倭徳山で遊んだ牧師さん

こんにちは、えみこです。

このタイトル↑
一体何だと思いますか?



まず、珍島分かりますか?
天童よしみさんの歌「珍島物語」で有名になった
韓国南部の島です。



私は天気の良い日、地元の古城址で観光の仕事をしています。
野外なので雨が降るとお客さんを受けられず
テントの中で材料の準備作業をしています。


本日も午後から雨が降ったそんな日でした。




テントの中で作業してる私に
通りがかりの初老の男性が
「ここって何する所?」と聞いてきたので
「木で色々作る体験場ですよ、これ作るんですよ」
と私は完成品を見せて説明した。



通りすがりにこう聞いて来る人は大体話好きな人。
人と話したくない人は素通りするもんね。


私の韓国語がこの地方の言葉と違うと感じたらしく、
「釜山の方からお嫁に来たの?あっちの地方の人でしょ?」
(韓国でも地方によってイントネーションに差があります)



というので、
「いえ、外国人です」
「どこですか?!」
「日本です」
「どーしてここにいるの?」
「かくかくしかじか」



ということで、話好きなおじさんと
相手によるけど話は嫌いじゃない私の立ち話スタート。



「韓国人男性って結婚してみてどう?」
「さあ、日本人夫を持った事ないから分かりません」



この男性は現在牧師さんで、アメリカに10年住んだ事があって
今、隣町に住んでるお母さんの顔を見がてらこの地域に来てて、
思いついてふらっと古城を見にきたんだという。


「アメリカで日本人の友達何人かいたけど、
色々細かい事指摘する人が多かった。
韓国人だったら、そんなこと言わないのに」



 「韓国人が細かい事言わないとしたら、
 自分が細かい事出来ないから、人にも言わないだけだと思いますよ。
 銭湯でばっしゃーっと横の人に水掛けられたけど、
 ま、俺も掛けるしな、
 位の緩さで生きてるからでしょうね。
 最近の韓国では少数派の考え方になってきてますよね」


この人がアメリカにいたのは、
90年代だというからやっぱり昔の話だった。



「故郷が珍島で、、」とその人が、言った時
私は耳を疑った。


「珍島、、ってあの珍島
1597年の鳴梁海戦の戦場の側のあの珍島?」
(韓国ではこの戦いを鳴梁大捷といいます。
 日本が大敗した海戦)



「そう、その珍島!なんでそんな事知ってるの??」


と聞くので、私は自分の翻訳した本
「400年の長い道」を見せて
「私翻訳家なんです。
この5月に韓国で出版した本のテーマがまさにそれなんです。




「400年の長い道続編」を年末に向けて翻訳中なんですが
今朝、この仕事に来る前に家で翻訳してた部分が、
まさに珍島の事でして!



鳴梁海戦で死んだ日本兵の遺体が、珍島の浜に沢山流れ着いたって話。
珍島の村人は韓国式のお墓を作って彼らを埋葬したっていう。



なんとその墓の数が100を超える!という部分を
今朝翻訳してたんですよ。
その地域の名称が内洞里と馬山里です。



「自分は馬山里の人間なんだ!」
「えええええ!」
「小さい頃よくそこで遊んだんだ。
 墓の数が100だって?」


「はい、私の手元の史料では100基あまりとなってます。
過去の韓国の新聞記事では
200基あまりと書かれてるものを見ましたね」



「子供の頃だったからかなあ、、
あれは400も500もあるような気がしてた。
山一面に墓があったから。
とにかく見渡す限り日本兵の墓だったんだよ」



「へえええ~!」


と、ものすごーくマイナーな歴史の話で30分位立ち話した。
韓国で珍島の出身者に出会う事も珍しいのに、
この倭徳山という韓国人も普通知らないような山の話を
私が珍島に行かずして、話している。
という事に驚愕する。


これはもう、神さまがそういう人を
ここに「つかわした」のだろうと思える。
あ、牧師さんだったね。神の使いだ笑



実はこの春出た翻訳書を出版する事になった時も
似たような事があった。


私の住んでる所はソウルから南に300キロ離れた田舎町。
ソウルの出版社に売り込みとか、、してない。
大体誰に売り込んだらいいのかさえ知らない。


あの時も私が古城でせっせと観光の仕事にいそしんでた。
そしたら出版業界にご縁のある方がふら~りとやってきたのだ。



私はただその人相手に、
この本出版してとか
なーんにも考えずに

「こんな本があってですね!
もうすっごいんですよ!」と
暑苦しく語っただけである。
煮えたぎる思いが駄々モレてそうなった。
心のマグマが笑


あっ!あそこに城の城壁がありますよね。
あの形状の長所は〇〇で、
それは16世紀以前の日本では見られないもので!
そういうことをがーっと喋った。



あとは、展開が早かった。と思う。
2021秋にそういう出会いがあって、
2022春に出版してたから。




本日の神の使いとの対話は
16世紀から近代に移り、20世紀初頭の話になり
最後は韓国の詩人尹東柱の話で終わった。
尹東柱の日本名は平沼東柱だったという辺りで。
さよ~なら~



牧師さんは「次の本出たら絶対買います!」
やった、一冊売れた!



雨の中、そんな人がやって来て
そんな話を交わしたのでした。




私は朝から倭徳山の事で頭がいっぱいだったけど、
故郷が、まさにそこ!という人が
ふらりとやってきたという面白さにツボる。
気軽に話しかけてくれなかったら
それも分からなかったはず。




1597年9月16日がその鳴梁海戦の日だったという。
あっ!あと数日。
(といっても旧暦なんで、実際は10月の事)


読んでくださってありがとうございました。













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