あの背中を思い出す
朝ドラ視聴者として、毎回、ドラマの終盤に作品の振り返りをしてきた。
今は『エール』のターンに入ったし、既に前作『スカーレット』については振り返りをすませた。
それなのに、最近なぜかあのシーンを思い出す。
主人公の喜美子が中年期に入って以降、一人で食事をする幾度かの食卓。
運命の人であったはずの夫と別れ、一人息子は大学に行ってしまい、妹たちはそれぞれに旅立ち、年老いた母は亡くなる。せっかく大学から戻ってきた息子は一人暮らしを始めるといって出ていってしまい、結局、病で若い命を落とすことに。
喜美子はもちろん、それ以外の登場人物たちの心の葛藤や、日々の営みについて丁寧に描かれているが、ストーリーのピークに達する場面は映像化されなかった。
ダイレクトに描かれず、数年後になっているというパターンが何回かあり話題になったものだ。
問題はその後のこと。
考えられないような悲しみや苦しみの後も、残された人はいつもの毎日に戻らなくてはならない。喜美子は一人で朝昼晩、淡々と質素な食事を口にしてから、洗い物をして、作品を作る。
視聴しているときは何気なく見ていたが、最近になってその様子をよく思い出すようになった。
今という時期は、世界中の多くの人が、今までと違う暮らしを強いられ、想像以上の痛みをそれぞれに負っている。
死がどこからやってくるかわからない。そして、自分の行動の何かが人の命を奪いかねないという現実。
あの喜美子の背中を思い出すのだ。
一人で食事をして掃除をして、一人で窯に火を入れて作品を作り続ける。
私自身は、とても無力で今できることは信じがたいほどに限られている。けれど、毎日毎日、目の前にあること、できることをやって、必ず生きて大切な人たちと、またいつの日か会いたい。
無関係なはずの物語の1シーンが、今の私に生きる力を注いでくれている。
“季節の本屋さん”における、よりよい本の選定に使わせていただきます。