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与えられている仕事を謙虚な心で行う

※11月は不定期モードです。

気がつけば、11月も後半。今年もそろそろ終わりに近づこうとしている。

だいぶ年月がたったような気がするけれど、前職を辞してから、実はまだ1年半しかたっていない。

職種が変わり、仕事のスタイルが変わり、立場が変わり。

決められた時間の通勤という概念が無くなったことは、組織に属していた期間が長い私にとって、どうしたって大きい。

これは、意外にもなかなか慣れない。あっそうだ、明日の朝6時半に必ず家を出て通勤しなくていいのだと、ほんのり嬉しくなる夜がいまだにある。

ライターのようにどこでもできる仕事のカタチは、枠に縛られたり、強制されることが苦手な私にとっては、つくづくありがたい。

とはいえ、いいことばかりではない。

一人だとなかなか大変なことが、本当にいろいろとある。

会社員としての年月が長かった中において、私はたくさんの恵まれたチームで動くことができていたのだと最近感じる。

社内の人間だけではなく、いろいろな会社とコラボして多くの物やイベントを作り上げてきた。

大勢の人と関わって仕事をするということは、それだけで財産になっていたのだと思う。

そして、今にして振り返れば、上司というものはいるだけで守っていてくれたし、トラブルになったときには、メールにCCをつけるだけでもたしかに心強かった。自由な私の感性や感覚を、歴代の上司たちはけっこうおおらかに認めてくれて、のびのびやらせていてくれたのかもしれないと、最近になってしみじみ感じる。

多くの部下や後輩たちは、一緒に夜なべして検品やディスプレイをしたり、資料を一緒に作ってくれたりしたものだ。精神的にも手作業の面でも、男女問わず、たくさんの人たちがずいぶんと献身的に助けてくれていた。いろいろなタイプがいたけれども、今でも思い出すような、絶対的信頼感の中にどこまでも支えてくれた人たちが何人かいる。

そういう人たちと組み上げた仕事や出会いがあって、今の私がいるのだと感じてならない。

最近、歯科医師として開業している10歳くらい年上の先輩と話しをすることがあった。

歯医者さんといえば、なんとなく優雅なイメージを持っていたけれど、先輩曰く、コンビニより多い、歩けばぶちあたる激戦地帯なのだと。

従業員が急に一気に辞めたこともあり、時に日雇い以下だと感じるほどの収入感の時もあり。

それでも開業医といえば、ちょっとした人の嫉妬も常に浴びつづける矛盾。

つらくて不安で先が心配で、男泣きどころか、人目もはばからずほろほろと涙したときのほうが多かったと。

それでも、仕事、職業、働く場所、そして生ずる苦難や喜びというものは、自分で模索しているようであって与えられているようにも感じるから、やはり、自分にしかできないことを、させていただいているという謙虚な心で真摯に励むことが大切だと思う、と語ってくれた。

こういう話をこのタイミングで耳にするということも、なんだか意味があることにように感じた。

謙虚な心を忘れずに、目先の稼ぎにとらわれすぎず、長い視点で人のために少しでもなるような仕事を行っていきなさいと、そう教えられた気がしてならない。


cafeglobeで書きました。→

みんながいいね! といえる職場を。「働く人改革」の4つの視点



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