源氏物語とポリシー、のようなもの。

自己紹介にも書きましたが、大学時代は源氏物語の研究をしていた私。

論文の正式名は忘れたけどw「薫の独詠歌と竹取物語との関係性」についてでした。

舞台である京都で学べたことは本当に良い思い出。

源氏物語の登場人物・薫ってどんな人?

薫という人は、永遠のモテ男子である光源氏の息子。源氏物語の第3部「宇治十帖」の主要登場人物。

薫という呼び名なのは、生まれながらにして身体に「えもいわれぬ芳香」を帯びていたから。

この方、家柄もばっちりで、ハンサム、良き香りまでするたぐいまれなきイケメンなのですね。

ですが、「自分の父親は光源氏ではないのではないか」という出生の秘密に苦しめられ続ける人でもあります。

作中で薫の本当の父親が誰かは明かされないのですが、この悩みに囚われ続けるため、マメ男で優しいのに超絶な優柔不断。女性にも基本消極的。(身分が低い女性には積極的wどないやねん)。

だから、手に入らない女性、目の前にはないコト、はっきりわからないコトを悶々と考え続ける(アクション起こすのは苦手)というわざわざ自分で苦しみの中に身を置きたがっているようにすら見える、Mっぽい人。(現代にも、いるよね)

源氏物語は作中、様々な登場人物が様々な場面で和歌を詠むことで、心情や状況が見えてくる、言わば、読むミュージカルのようなものですが「独詠歌」という歌は、誰かに対して詠ったものではなく、自身が(外の人などを意識せず)心の中でつぶやくように詠うもの。

今も昔も、人は自分の感じたことをつぶやかずにはいられない生き物。和歌とSNS。根っこの部分に共通項がありそうです。

メンヘラっぽい薫の偽りのない心情が一番見えるのがこの独詠歌。

そして、日本最古の物語である竹取物語。

紫式部も、源氏物語の中で『竹取物語』のことを「物語の出で来はじめの祖(おや)」と触れています。

私の研究は、薫の独詠歌を題材に、紫式部が竹取物語から影響を受けたであろう部分を考察する。という、薫という人物の内面に迫りながら、紫式部の文章テクニックについても考えていく。というものでした。

薫の生きづらさから感じた譲れない価値観

何を言いたいかというと、生きづらそうな薫さんがつぶやく独詠歌に大学時代の私はピンときたのでした。

みんな、表側の自分と裏側の自分と両方あって、華やかに見える人も実は悩んでたり、苦しかったり。

人って、紫式部が生きた平安時代から多かれ少なかれいろいろ抱えて生きていて、それでもなんとか帳尻合わせて生きている。

生きるって苦しいし大変なのはみんな一緒。

20代そこそこの女子にしたらネクラ感強めですがそんなことを思ったのでした。

きっと、平安を生きた薫さんも(架空の人だけれども)、周りには、貴族だ、ハンサムだ、良い香りするだって、異性にあこがれられたり、ひがまれたりして生きてたんだろうけど、

人を勝手にくくるんじゃないよ。

って思ってたんじゃないかな。「あの人は(どうせ)貴族だから。」って、メンヘラ薫を勝手に「貴族」って袋に入れて、何も知らないのにひがまれるって迷惑。学生時代の私は、薫に勝手に感情移入をしたのでした。

現代でも、私達は見た目、学歴、家庭環境などいろいろな袋を勝手に作って、人を袋に分類したがる。無意識的にやってしまっていたりする。

(ジブリ風に言うと)「くもりなき眼(まなこ)で、見る」ことの何と難しいことか。それでも。やっぱり。どうしても。

違いを認める。違いを認めてもらえていると実感できる。

ということが、私には命の次に大切なことなのかもしれません。

もちろん、大学時代はそんなことまで深く考えることもせず、ただただ論文を仕上げて卒業しただけなのですが、今の仕事の原点に、源氏物語の薫がいることは事実。

そして、違いを認めることのまちの中での実現というところでは「UNMANNED無人駅の芸術祭/大井川」の存在が深く関わっているのです。

「地域」をフィールドにして今仕事をしていることは、私は「マチ」というよりも「人」に興味があるから。マチというのは、個人が積み重なった集積地。

源氏物語の薫と、地域づくりの仕事は全く畑違いのようで私にとっては密接に結びついています。

地域づくりの仕事は、好きだからやっている、というよりも私にしたら、自分との、価値観との終わりなき闘いのようなものなのかもしれません。

それはそれで、いとをかし。

#自己紹介 #価値観 #日記





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