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記憶の狭間を埋める旅(5)

第一次世界大戦前史(2)

1890年代に入ると、フランスは政治を中心に混乱状態になってゆく。

1892年にパナマ運河疑獄に関して伏せていた事件が反ユダヤ系の新聞『ラ・リーブル・パロール(フランス語版、英語版)』紙に大々的に報道されると(保守派のジョルジュ・クレマンソーや左翼のレオン・ブルジョワといった大物政治家が含まれていた)、1893年の議会選挙(フランス語版、英語版)でジョルジュ・クレマンソーは落選した。
1894年6月24日にサディ・カルノー大統領がイタリア人アナーキストのサンテ=ジェロニモ・カゼリオ(フランス語版、英語版)に暗殺された(サディ・カルノー暗殺事件(フランス語版))。1894年9月にフランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人、アルフレド・ドレフュスがドイツへのスパイ容疑で逮捕されたが、これは冤罪事件であった。慌てた軍部は証拠不十分のまま非公開の軍法会議においてドレフュスに有罪判決を下した。フランスは、1894年10月に露仏同盟締結にこぎつけたが、11月1日にアレクサンドル3世が崩御して、ニコライ2世が即位し、イギリス育ちのアレクサンドラと結婚した。フランスは、ビスマルク体制の外交的孤立から脱却し、ヨーロッパの軍事情勢は流動化していった。

Wikipedia | フランス第三共和政

パナマ運河疑獄

1879年、フェルディナン・ド・レセップスはギュスターヴ・エッフェルらの協力を得てパナマ運河会社を設立し、パナマ運河の建設に着手した。
しかし難工事、黄熱病、放漫経営により工事は中断された。1888年には、政府の許可を得て宝くじ付き債券を発行し資金を賄ったが、翌年には破綻が宣告された。
政府は工事を続行するために新会社を設立して運河会社の清算を進め、1890年にはコロンビアとの契約が更新された(しかしフランスによる建設は失敗し、20世紀に入りアメリカ合衆国に売却されることになる)。1892年には清算処理方針が決まり、約80万人の一般国民が買った債券は紙切れとなった。
同じ1892年、宝くじ付き債券許可にからみ、ジョルジュ・クレマンソーら多数の大臣が運河会社から賄賂を受けていたと新聞が報じた。続いてレオン・ブルジョワら6人の大臣を含む510人の政治家が、運河会社の破産状態を公表しない見返りに収賄したとして告訴された。しかし政治家は、前開発大臣が有罪判決を受けただけで大多数が無罪となった。

Wikipedia | パナマ運河疑獄

流れが非常に不透明なのでなんとも言い難いが、外国での運河建設の資金調達に宝くじ付き債券を発行することにし、その許可を求めるために大臣に、そして会社の経営状態に関して政治家に賄賂が渡ったということのようだ。状況は精査する必要があるのだろうが、1867年にはフランス傀儡とも言えるメキシコ帝国が滅び、19世紀末には米西戦争が起きるなど、スペイン語圏中南米は解体の危機に晒されていたと言えそう。そんな中でフランスに実利があるか疑わしいパナマ運河の建設にくじ付き債券というさらにリスクの高い要素を組み込んで売るというのはギャンブルに等しい。債券発売当時はブーランジスム運動が最高潮に達していた頃で当時とは政権も違うはずなので、それ程までの疑惑が出るのはあきらかに政局的な動きだと言えそう、ブーランジスムとの関わりで考えるとドイツが絡んでいた可能性は十分にありそう。あるいはジャーナリスト出身で急進左派のジョルジュ・クレマンソーが選挙敗北を見越して自爆的政局を仕掛けたのかもしれない。

情報戦の時代

ドレフュス事件(ドレフュスじけん、仏: Affaire Dreyfus)とは、1894年にフランスで起きた、当時フランス陸軍参謀本部の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕された冤罪事件である。

Wikipedia | ドレフュス事件

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