核抑止・拡散防止と被曝体験

こちらで広島への原爆投下について疑問点を提示したが、仮に広島への原爆投下がアメリカ軍によるものではなかったとしたら、一体なぜその話は常識として定着しているのだろうか。

原爆投下と冷戦体制

まず、一番大きな要因として、第二次世界大戦後に構築された冷戦体制において、核抑止というものが重要なテーマとなっていったということがある。もっとも、この問題については、逆に核抑止がありきで冷戦体制が構築されたという可能性も十分にあると私は考えている。というのは、それは最初の原爆開発がどこでなされたのか、という問題と密接に関わっているためで、仮にアメリカが広島への原爆投下をしたのではないとすると、ソ連、とりわけシベリア鉄道の終点付近で開発され、それが朝鮮あるいは満州経由で日本に入ってきて地上爆発という可能性もあり、その事実と、ソ連内の一国共産主義と世界同時革命の路線対立が相俟って、朝鮮戦争、スターリンの死を経て冷戦体制の構築に繋がったということも考えられる。ただし、ソ連の原爆開発は1949年の原爆実験成功からだとされており、時間軸の問題はある。この辺りは、中国の国共内戦、そして朝鮮戦争などの極東情勢にも絡んださまざまな事情が隠されていそうに感じるが、現在言われている史実からそれを追うのは簡単なことではない。

核開発競争と原爆投下

いずれにしても、冷戦下において、核抑止体制は強化され続け、そのために原爆投下をしたアメリカが最初にその開発をおこなったのだ、という神話の維持は、アメリカという国の科学的優位性を示すためにも非常に重要なこととなって行ったということが考えられる。つまり、実際にはおこなってはいないかもしれない原爆投下という原罪意識を被っても、それを補って余りあるほどの意味が最初の原爆開発国という称号に込められていた、という可能性があったということだ。
実際には、その後の核開発のスピードは、水爆の開発等、常にソ連がリードする形で進んでいった訳であり、アメリカとしては、最初の核開発国の看板をおろしたら一気に押し込まれるという恐れもあったかもしれず、むしろ進んで最初の原爆投下国というイメージを利用して核戦略を優位に展開させてゆこうとしたということが考えられる。

ソ連の事情

ソ連サイドでも、最初の原爆を開発したのがソ連ならば、おそらくそれを主導していたであろう世界同時革命派は、ソ連国内の主導権争いでは遅れを取り、そのために最初の原爆開発国を主張する政治的基盤はなくなり、かつ技術的にリードしているのならば、積極的にそのイメージを引き受ける必要もないということで、その結果としてアメリカによる原爆投下という話が固定していったのかもしれない。
それは、第二次世界大戦期に、ソ連の、特に一国共産主義勢力が、どの程度シベリア方面へのグリップを持っていたかということにも関わってくることなのかもしれない。スターリンはジョージア(当時のグルジア)の出身であり、そこがソビエト連邦の一参加国として独立した共産党組織、そして国家組織を持っていたことを考えると、シベリア方面でもそれと同じような形でのソビエト連邦の拡大ということを意図していたかもしれず、そうなるとシベリア・極東はかなり大きな権力の空白地帯のような感じになっていた可能性もある。そこに世界同時革命派が基盤を置いて勝手なことをしていたとしたら、中央の預かり知らぬところで原爆開発がなされ、それが広島に持ち込まれて爆発し、それをアメリカの投下によるものにしたという可能性も考えられないこともないのでは、という妄想に近いことも想定すると、第二次世界大戦前後の風景もまた違った様子に見えてくるかもしれない。

沈黙の国際世論の謎

いずれにしても、アメリカ側でも、原爆投下を前にしてルーズベルトが没し、後継大統領トルーマンの意志も明らかでないままに原爆投下が行われたということで、本当に、確実にアメリカが原爆という大量殺戮兵器を使用していたのならば、戦後にそこまでアメリカが勝利の正当性を確保し得たのか、当時の世界世論はそこまで正常な感覚を失っていたのか、ということについて、私は個人的にはいくらなんでもそのようなことを許すような国際社会ではなかったと考えたい。つまり、終戦直後には、原爆投下という話は今とは全く違う印象で世界に受け止められていたのではないかと考えるのだ。この辺り、行き過ぎた帝国主義の時代をいかに収めるかということについて、ある意味で世界の叡智を集めて作られた話なのでは、という気もしており、ただ戦争が終わって一世紀が近づこうとする中、その神話をそのままの話で歴史にして良い段階ではなくなってきているようにも感じる。百年前への戦争への道のりを徐々に辿ってゆきながら、核廃絶の道のりも含め、帝国主義、戦争の時代の総括を行いつつ、新たな人類の未来について対話を重ねてゆく時期なのではないかと感じる。

第二次世界大戦総括の必要性

その中で、来年のサミットは広島での開催が決まっているが、被曝の悲劇というもっともらしいシナリオで広島出身の総理がそれを人類の原罪のようにして、ある意味利用する、という形になってゆくことは、私は個人的には全く望ましいことではないと感じる。総理の出身派閥である宏池会がずっと広島を拠点にしてきたことも述べた通りであり、その総括、例えばサンフランシスコ講和会議にも出席した池田勇人の所得倍増というのはどのような国際的文脈で行われたのか、と言ったことの検証がなされないままに、侵略、被曝、敗戦国日本、奇跡の戦後復興という話が固定するのは、私には大きな違和感がある。それは、広島の呉で作られたとされる戦艦大和というものが本当にあったのか、あるいは原爆投下の正当性を強く補強する真珠湾への奇襲という話は本当だったのか、というさまざまな疑念を呼び起こす。それらの話を埋め込んだままこの第二次世界大戦の総括を行っても、私はおそらく核廃絶というものへは辿り着かないのだろうという気がしている。核兵器という人類の原罪の張本人となるであろうアメリカが、その冤罪の罪意識から逃れるために核を手放そうはずがないからだ。それはおそらくそのカウンターとしての、幾分かの原爆開発の秘密を握っているのではないかと考えられる北朝鮮の核開発についても同様で、その構図を残したままでは、東アジアの緊張も、世界の核抑止も緩むことはないだろうという気がするのだ。
広島でのサミットに向けて総理がどのようにこの問題に対処するのか、それはある意味で人類史上における注目を集めていると言えるのかもしれない。

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