代表制間接民主政治による認識搾取

代表制を取る間接民主制では、代表者が問題意識を拾い上げそれを一般化して政策として問題解決を図ることになる。それを問題解決とするために、個々人にその政策プログラムをインストールしてその行動を体が自然に具現化するようにするのが現代的な代表制間接民主主義だと言えそうだ。

政策プログラムの社会実装

政策プログラムは、社会適応のために児童時代から集団行動の訓練で信号に対して合理的に肉体が反応するようにセットされた体に注入されるので、そのプログラムに従った情報が流れることによって、それに従った行動を行い、最適にその行動を行ったものが報奨がえるような仕組みとして支配を行うことになる。

政策誘引手法としてのナッジと信号伝達

ナッジのような手法の効果が高くなるのは、肉体の経済功利主義的信号に対する反応が極めて鋭くなった時であると言え、得する、という情報に反応して競うように体が動くようになるのだと言えそうだ。期限を区切って早めに行動すれば得をする、というような行動を促す手法で政策効果を高めようとするような取り組みが例となる。

また、信号発信の典型的な例としては、テレビドラマのようなものがあり、その中の役になりきることで、そこに埋め込まれた政策プログラムの印となるような信号がトークンとして拡散され、ドラマの文脈と近似的に広がってゆくということがありそうだ。最もわかりやすい例としては、男性俳優が家事の手伝いをするようなシーンを多く入れることで、その行動が真似されて女性の家事負担が少し和らぐ、というようなことがあるのだと言えそうだ。

政策誘引プログラム方式の問題

このやり方に反応しないと、社会からは冷たい視線で見られるようなこととなり次第に追い詰められるという非常にいやらしい社会的圧力を利用することになり、それでも反応しないと一つ一つハードルを上げてどんどん追い詰めるようにして、ますます信号への反応速度を上げることが有利であると教え込むようにする。これはもはや政策効果というよりも政策圧力であるといってよいのだろう。

これは、論理によって反応しない理由を一つ一つ潰していって逃げ場をなくしてゆくことで追い込んでゆくので、複合的な理由は一つ一つ潰され、いつの間にか逃れることができなくなるということになり、政策というよりももはや強制であると言えるのだろう。

一般化された政策による強制的圧力

一般化された政策が全ての人に馴染むかと言えば、当然そんなことはないわけであり、違和感を覚えて反応が遅れるということになると、上記のようなやり方でどんどん追い詰められてゆくことになる。どこかで違和感ハードルを越えられればよいが、それを越え損ねるともはや逃げ道なく追い込まれ、最終的には越え損ねたハードルのところで、これあの時言ったよね、というような無言の圧力がかかってどんどん追い込まれるという、人を救済するための政策どころか、人に行動を強制し追い込むためのものになってゆくという本末転倒なことになる。

代表制間接民主制の問題

これは、代表制間接民主制の持つ悪い点が集約されているのだとも言えそうだ。民主主義というのは、多数派の意見が通るということで、どうしても多数派に属してそこで利益にありつくということにインセンティブをつける仕組みとなっている。そして、多数派形成、しかもなるべく文句を言わずに言うことを聞くそれを作るために、集団化圧力をかけるということが常態化するのだと言えそう。そして、代表制であるが故に、その代表が集団の意見を集約して体現するということになり、それが権力の源泉となってその集約意見を、利益誘導を原動力として行うことになる。社会においては、それが集団化圧力を形成し、その圧力によって事実上の政策の強制が行われ、その上でそこから政策への不満を絞り出して政治的なカウンターパワーとしたり、あるいは本来ならばビジネスで解決された方がうまくいくかもしれない問題意識などについても、政策の一部に取り込もうとしてその問題意識に擦り寄り、集団的圧力に屈するか、反発すれば圧力によって弾き出すか、というような認識の搾取的なことが行われる。

トップダウン民主主義の代表制間接民主主義

本来的には個々人が多様な認識を持ち、そこからさまざまな問題意識が生じていろんな角度から社会の問題点に対応するという方がこぼれ落ちる物も少なくなるのにも関わらず、代表制間接民主制では、代表者がその力を示すために、本来あるべき多様性を全て包括して一般化し、それによって上からの問題解決を図ろうとする。上からの問題解決では、解決法は一本化され、それをあまねく押し付けることになってしまう。そのやり方が万人に対して有効であるとは言い難いのにも関わらず、代表制間接民主制の特性として、そこから生じた不満は単に政争の道具となるにとどまり、それが有効な対応に直接つながる経路は見当たらない。不満があったらすぐに他の人が拾い上げて対応できるような形の方がはるかに有効であることは明らかなのだろう。その点で、有権者が直接政策立案、そして実施に関与する直接民主制の方が、社会問題の解決のためには有効性が高いと言えるのだろう。

政治の原点へ

代表が権力を握ることで主権者の方が政策を強制され、集団化圧力にさらされ、追い込まれ、認識を搾取されるという代表制間接民主制の問題点は、そろそろ認識されてもよいのではないだろうか。政治とは決して政争をドラマの如く楽しみ、選挙となったら血湧き肉躍る戦の如く盛り上がり、勝ち馬に乗って自らが有利になるように社会を道具として利用するためのものではなく、主権者一人ひとりが持つ問題意識を有効に解決してゆくためのものであると、その原点に戻るべきではないだろうか。

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Emiko Romanov
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