氷河期での就職パート2〜保険外交〜其のニ
その頃、私の家の近くにはモノレールが通っていた。そのモノレールに乗って私はある会社へ……S生命の横浜支社へ……。
私達、営業(外交)のたまごは最初のうち横浜支社で、集まって基礎を学んだ。
主にチラシの作り方、保険商品の仕組みと売り方………。
私は、優等生で1時間前に出社して勉強しようとしていたが、同期が話しかけてきて勉強にはならなかった。その1時間前に出社するというので部長に褒められ、同期の中で有名になってしまった。のだが……
研修が終わってパーティーで初月給を貰うと、同期の子らにせびられる。
そこは器用にかわし、私はぱくぱく遠慮なくフライドチキンを食べていた。
打上げで、カラオケに行くと 前々からカラオケによく通っていた私は、その頃流行りの歌を大熱唱。(工藤静香「恋一夜」)
年下の女子は、あみんの「待つわ」などを2つのパートに分かれて歌ってた。
私は、前から音楽マニアに近かったので、皆の知らない歌を歌って曲名を聞かれたりした。(ひそかな自慢です☆)
その後、終電に間に合うように帰宅して、一応のこと、その晩は訳を話してお固い家の両親のお怒りはなかった。
私は、「外交」ではなく、「営業事務」として雇ってもらったと、説明した。
しかし、その「外交」、以前 勤めてた「貿易事務」より 資格もないのに雇われて、4万近く高い「16万円」の月給だった。
この世の矛盾…………☆
ただ、この会社は2ヶ月毎に査定があり、2件契約が取れないとクビなのだ。。。
私は、最初の査定を新人をひとり引っ張り込み(スカウト、これも1件に数えられる)、勤めている支社の先輩トップセールスから譲られた客の1人の契約を変更(これも1件)して乗り切った。
交通費と、景品、食費、など、諸雑費もかかり、16万はすぐ消えたが………(全部、自費⭐)
いろいろな人と話せたので楽しかった♥うふ。
なかには、ドライブに誘う人もいて、ドライブに行ったが、こちらは既に恋人がいるので、それ以上の事もなく、
クイズなどの景品にオグリキャップ(競走馬。その頃の競馬で人気だった……トシがバレる💦)のぬいぐるみをこちらからプレゼントした人もいた。
横浜の小さな事務所で女社長に色々世間の話を聞き、S生命の会社の会報の説話を良いものを選り抜いて配ったりした。
花束を配ったり、
曜日を決めて、顧客の会社の女の子と昼ご飯を食べに行ったり、……
結構、私の人生の中で社交的な日々が過ぎた………
けど、私は人が良すぎたのである。契約がとれず、
2回目の査定があやしくなってきた。
他の社員の中で、すごい子がいて、何件も○千万円の契約をぼんぼんとってくる子がいた。しかし、その期は私は1件もとれなかった……
ああ、……行き詰まり💔
私は、この会社も去ることになった。
私は、結構トップセールスの50代の女性とうまく行かず、私のやりたいようにはやらせてもらえなかったので、
その怒りもあって、ロッカーを思い切り蹴飛ばした。
その時、説教され、
そして学んだのが「飛ぶ鳥跡を濁さず」(以前、この記事に書いてます♥)です。
職を辞めるときは、キレイに辞めたほうが良いですよ?
後々のため……
私は、その頃その会社が昔関わった
「安宅(あたか)産業合併」について書いてある本
「雷鳴のとき」というのを愛読書にしていた。
それを知っていた部長は、
「あんたは作家に向いてる。作家の方がいいよ」
と、言ったのだ。
「将来、作家になったら教えてね♡」と、
今、note作家になってます。
そのすぐ後、
私は、過労のためか倒れた。
恋人は、私が倒れると 母親に「病弱な子はやめな」と、言われて
あっさりと私を捨ててしまった。
無責任なやつだった。
その後、私は入院したり、療養したりで
調理補助になって…
今に至る。
つづく……体育会系調理補助へ ふふふ…
トップ写真は
じぇいかわさき|ものづくりアドバイザー様 の「横浜元町〜関内50mm/f2.0」です。
ありがとうございます🍀
おわり⭐
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