体育会系調理補助〜昨年 厨房に散った、Oさんに捧ぐ〜
2020年秋、私たちK社H病院事業所の大事な仲間、Oさんが還らぬ人となった。全身に癌が転移していた。
彼女は、その前の冬に、同じ事業所の仲間シモジュウさんが 脳挫傷に倒れてから、最も負担が掛かって闘ってくれた仲間だった。
私は、Oさんに複雑な思いを持ちながら、引け目や、避けたい気持ちも持っていた。
Oさんは、2019年冬、私の入社の1年半後に「体の調子が戻った」といって、会社に戻ってきた。
その前から、事業所にいる私より 覚えが早く、実力は間違いないので 私は舌を巻いた。その頃の店長の話では 以前 Oさんは、ここにいて、他でも 小学校の調理補助もしていて、10年くらいのキャリアがあるらしい。ああ…、そうか。当然なんだ……。私は、自分で自分を慰めた。
最初のうちOさんは、色々な人に「あの人やーよね」「あの人暗いね」と、その人の嫌いそうな人の悪口を言って 馴染んでいった。私は、そのやり方が嫌いだった。なんとかなっていたチームワークが、思ったとおり悪くなった。
それから、Oさんは 仕事を覚えると その頃 代替わりした店長への パートの連絡口になったり、私も、庇ってくれた。
私は、他の慣れてない店員のミスを被って ペコペコ謝るばかりだったが、Oさんは、実力もあって勇気もあった。そして、性格も強いので 店長とも ちゃんと口が効けた。私は、トロくて実力もないので 何か言うと 店長は怒鳴ったが…。
そのうち、半年経つと 新しいパートさんが入ってきて、Oさんの口調がその人にかなりキツかったらしい。今思えば、Oさんの体の調子がその頃から悪かったのかも知れない。
そのうち、そのパートさんはOさんと喧嘩して 無断欠勤をして辞めてしまった。
私は、そういう キツイOさんが、嫌いになり始めていた。
それまでは、時々配膳に行って忘れ物をして、厨房に電話をかけて助けを求めると「ばかも〜ん!」と、母親みたいに怒ってくれるOさんが、かえって好きでもあったのだが………
その後に、シモジュウさんが来た。
シモジュウさんも、社員からエルダーパートさんになった経験の長い調理補助だった。
Oさんは、その後店長になった清水さんの言うとおり 早くしろと私を煽ってばかりで何も教えなかったが、シモジュウさんは 怒鳴りはするけど 具体的に 様々な仕事の早いやり方を教えてくれた。
私は、シモジュウさんに頭を深々と下げてお礼を言った。
この世界では、実力のある者が仲が良くなったりする。
Oさんとシモジュウさんは、仲がよかった。
そして…………
シモジュウさんは、無断欠勤をした。2020年冬、来る日も来る日もシモジュウさんは、来なかった。嫌な予感がした。
シモジュウさんは、自転車に乗っているとき 事故で頭を強打して、意識不明になっていたのだ。
診断 脳挫傷。
職場には、戻ってこれるか分からなかった。
それから、私たちの地獄が始まった。
ひとり、足りない中で、私たちの勤めている病院は脳外科で、冬は患者さんが多い。
苦しいけど、たたかった。
そして………
Oさんに、癌が見つかった。
すい臓がん ステージ4 全身に転移。
Oさんは、辞めるまでの3か月間、真面目に闘った。
私だって、真面目だ。Oさんにはけっして負担を掛けたくなかった。
しかし、私はどうしてもトロい。
午前10時からの勤務のOさんに、どうしても仕事を残してしまう………
以前、Oさんと喧嘩して辞めてしまったパートさんや、シモジュウさんがカパーしてくれていた仕事が残ってしまう。
Oさんは、私に酷いことをいい、そして、金切り声で怒鳴った。
私は、それを黙って受けていた。
そして、Oさんが退社して 入院するときが来た。
シモジュウさんの 私としてのカバーで 午後の皿洗浄に入るとき、「Fスーパーのアップルパイが美味しいから」と私にくれたり、「頑張れ」とも、言ってくれた Oさんだった。
「あとは、まかせたよ………」
そういって、Oさんは去っていった。
時々、外出許可が出ると 会社に遊びに来た。
去年の2020年、秋。
Oさんは、還らぬ人となった。
最初、迷惑をかけたお詫びに、百均のりんごの紅茶をプレゼントしたのに、安いのに、喜んでくれたOさん。
荒々しく、優しく怒るOさん。
そして、ヒステリックに怒鳴りつけるばかりだったOさん…………
わたしは、
Oさんを 憎み、
そして 嫌い、
心から 遠ざけ、
申し訳なく思い、
そして、同僚として
尊敬し 愛していた………………。
おわり
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