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体育会系調理補助〜お正月2023〜

今までの私だったら、出来なかっただろう。今までの私だったら……。

私は、関東郊外の脳外科病院で調理補助のパートをしている。もうすぐ5年目に突入するころ。

生まれつきトロいのだろう、なかなか早く仕上げることができない私が、去年の秋から急成長をしてきていた。

ヨガを勉強し、身体をほぐし、哲学を学ぶ。その心得が私を助けつつあった。

そして、なにより、私の周りの人間関係が温かくなり始め、私は すこし 羽根を伸ばして仕事が出来るようにもなってきていたのである。

周りが温かいと、仕事もやりやすい。


私が勤め始めて4年を過ぎ、仕事場の調理師やパートの間でお互いに情が湧くというか、馴染みが出てきた。
引きこもりのようになって、何十年も社会に出て働いていなかった私もやっと周りに信頼を持てるようになっていた。

取り敢えず、周りの人は訳もなく私に対して、怒鳴ったり、酷いことは言わない。それは、深く心に刻まれたキズから出る恐怖だったが、幼少期のいじめのキズだとか、父の訳の分からない八つ当たりとかは、普通の人はしないのだ、と、少しずつ納得してきた。

みんな訳がある。訳があって怒る。小学生の頃のように、訳も分からず噛みつくような怒り方をする人はいない。訳があって怒る。私は何度も心の中に腑に落ちるように繰り返す。そして、叱ってくれる人には感謝しなきゃならない。大人になって、なかなか叱ってくれる人はいない。それは、仕事のことでも、他のことでも同じだ。


かつて、小学生の頃、兄は全身に水疱瘡のあとがあり、私もその妹として、いじめられていた。もう、兄の水疱瘡のあとは、大人になって目立たなくなっていた。いじめは、母が教育ママだとか、網元の娘と喧嘩したとか、他にも原因はありそうだったが。

調理補助のパートは、マスクをしてハードな仕事をこなす。酸欠で、特に嫌な思い出が思い出されやすい。


それと、同時に私は「仕事を任されている」という自覚を急激に持ち始めていた。

「遅い」とかなんとか言われながら「信頼」されて「任されている」。

そして、4年間、私は故意に手を抜いたり、気を抜いたりしたことがなかった。

いつだって一生懸命上達を目指してきた。

その自負が、成長を早くした。

そして、私はもう一番ペテランのM坂さんの次に古いパートなのだ。

(盛り付けも、ちゃんと見えてれば大丈夫。手の感覚だけでなく、目を使う。その他のことは今まで他の人がアドバイスしてくれたことをキッチリと)

(時間は、時計を分割する、それと合わせて皿の量を分割するイメージで、雑音に惑わされぬよう、視覚をしっかりさせて)

(呼吸も姿勢も整えて)

(いつもの手順を外さずに、慣性をもって)

試行錯誤を重ねてきたこと、全部シフトの中で集中させる。


正月一日。いつもの半分の職員ながらも、
工程は6倍。おまけに温かい器だから、一つ一つの器のラップ掛けもある。汁椀の盛り付けも今日はあった。具材もこぼさず。


時間より、早く済んだ。


今までの私だったら、出来なかっただろう。
今までの私だったら……。


              おわり





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