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山根あきらさんの記事を読んでー私は、太宰治や平井和正で人生狂ったと思うことがあったんですよ(恨んでた)

そうなんです。実は私は、10代の頃 太宰治や平井和正を読んで影響されて、人生を狂わせた、と「根に持っている」時期がありました。

人のせいにしちゃいけません。それは、わかっているのです。
けれど、友達の少ない、10代の感受性の鋭い女の子にとって、その頃読んだ本に影響されるのは、難しくはない問題でした。

中学3年生頃に太宰治を読み、高校生になって平井和正の「幻魔大戦」シリーズ(全20巻ほど)や、「狼のエンブレムシリーズ」などを浸って読んだ私は、完全に「世の中は、ドロドロだ」と、思い込みました。ドロドロにも、色々意味がありますが、「だらしない」という意味が大部分占めていたのも印象に残っています。

それからの、私は友人が少ないのもあり、テレビという媒体とあまり縁がないのもあり、世の中への認知が歪んで生きていく人生が長かった、と記憶しています。

けれど、周りから見た私は、「汚れを知らない10代。許すことを知らない10代の女の子」だったわけです。

周りから見た私がどうであれ、私の中身は「世の中には、ドロドロな、心根も生活も習慣も汚い人間に溢れていて、どうしようもない。私は、こんな世の中に生きていていいんだろうか? 」と、次第に自殺志望に傾きます。

人も信じられない、友人も少ない、明るい情報も入らない生活。たまりませんよ! です。

だから、ずっと心の奥では、「世の中少しは毒が欲しい」という人は、そういうものにあまり縁のない、「平和慣れ」して、「緩やかな生活」に慣れている、贅沢な人の感じることだと思っていました。
それか、血の匂い(悪いこと)に飢えているような。(偏見かもです)。

自分が、緩やかで平和な時間が続くと、「毒」が欲しくなるからです。


私のベビーフェイスや、高いトーンの声を聞くと、ドロドロした沼のような世界に居た、という話は誰も信じないし、聞いてくれません。(顔をnoteに出すことはありませんが)。諦めているところも、最近では。

けれど、自分は、そういう、私のような青年少女を作らないため、健全で、常識的で、感動を与える、良識を訴えるものが書きたいです。

そういう、影響を与えるものを書いていきたいです。




ちょっと、意見交換までに♥



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