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体育会系調理補助ー最終回へ④ーこれでさよなら!いままでありがとう(最終回)

「山田さん、お別れのミーティングするから、あとで皆が揃ったときにね」
「……はい」

私は、首都近郊の病院で 調理補助パートとして働いています。もう、5年半。

今度、姑と同居するため引っ越すので、もうこの仕事は辞めなければならなくなりました。

その仕事場に朝 出勤すると、チーフに冒頭のように言われました。

ベテラン以外の人間は、ミーティングなど開かないで、何もせず 空気のように送り出されます。
私は、現在、1番のベテランで お別れに重きを置いていただけたようです。お別れを言う為、貴重な時間を割いていただきました。

以前には、20年間勤めたМ坂さんや、マサキさんも、ミーティングを開いてお別れしました。

「ミーティングを開きます」
メンバーか集まり、私は、殆ど何を言ったか分かりません。ただ、私から 感謝の気持ちだけは伝えられたのでは と思います。

ここで、働きながら 時には学生のように 社員とじゃれながら、時には仕事と格闘する戦士のようにずっと働いてきました。
私の、元からゆっくりだったスポーツマン並みの60の脈拍数は、48,まで下り、マラソン選手並みになってしまいました。それ程、この仕事はきついです。


仕事は、この日は まあまあの出来です。
最後まで、仕事での注意と指導は、しっかりとなされ、私は(もう、終わる人だから)と、いう、ぞんざいな扱いはされません。

そして、仕事が終わり、事務所で静脈認証をして、就業時間を打ち込むと、栄養士のお姉さんが包みを持って待ち構えています。
「山田さん、これ……」
見ると、おしゃれなお菓子です。
「あ……」
「山田さん、短い間でしたが、ありがとうございました」
その栄養士さんは、今年に入ってここへ来たばかり。
「あ、ありがとう」
ロッカーを開けると、そこにも封筒があります。表書きに 
(お疲れ様でした)
と、
あまりシフトでは一緒にならないイトウさんです。
(………忘れてなかったんだ。最後に会ったときは何も言わなかったのに、私は嫌われてると思ってた)
イトウさんとは、時々 仕事でぶつかることもありました。

控え室では、病院職員への配膳で、お昼を食べてなかったサクラさんが、遅いお食事を摂っていました。
「山田さん、これ……」
おしゃれな包みを渡されました。
「……ありがとうございます」
皆さんが、それぞれにお心遣いをしてくださいます。
「山田さん、何をやっても諦めないでね、これからもお元気で」
「……ありがとうございます」

私が、シナリオの勉強を始めたことも、ブログを書いていることも知っている人もいましたが、皆 その夢を嘲笑いもせず、敢えて期待し過ぎもせず、特別な感じにはせず、扱っていただけました。その夢が夢で終わっても、実現しても、私は私なのでしょうか。

今回、姑と同居する為 私たち夫婦は引っ越すのですが、その地は新幹線の騒音もなく、静かなところで、静かに物が書けます。

パートから自宅に帰ると引っ越し作業が待っています。

今まで アパートに住んでいて、上の階の人とはLINEが繋がっていて、やりとりがあり、この方は、文芸に興味があるので、また自作などのやり取りや、これからも仲良くしようと約束します。

裏の家のキョウコさんも、引っ越し作業のとき顔を出します。
「えみちゃん、元気でね、せっかく仲良くなれたのにね」
キョウコさんと、その旦那さんとは、私たち夫婦とで カラオケに行ったり、ぶどう狩りに連れて行ってもらったりしました。

引っ越し作業中、近所の子供たちがワイワイしています。
(調理のおばさんだったんだって、大学生だと思っていたのに)。

車で、元の地を離れると、私は泪が出てきました。

地野菜を分けてくれる近所の人たち、あさりをくれたり、赤飯をくれたり、カラオケに行ったり、お花見にも行った。私がお礼に肉じゃがを作って持っていくと「お店やってたの
? 」なんて、褒めてくれるくらい喜んでくれたり……、新聞配達のおばさん、タクシーの運ちゃん……
温かくて、半分田舎で半分都会のこの町。
アパートの間取りも景色もだいすきで、ただ時々、私たちの悪い噂も流れることがあった。主人が失業して家にいると風当たりが強かった。
けど、自然が残ってて、人の優しいこの町が、私はすきになっていたんだ。

そして、調理補助の仕事も……

私は、引っ越すため、車に乗って南下しながら泣き出した……

「ねぇ、ひで、人間っていいね、人間って温かかったんだね、こんなにしてくださるなんて……」

私は、お別れの品物を抱えながら わんわん泣いていた。

私は、ずっと持病を抱えて 社会に出るのに憧れていた。少しメンタルが病んでいたのだ。それを週2日、4時間ずつから、調理補助のパートを始め、病んでいたメンタルが少しずつ標準へ向かっていった。

ここで、この土地で、温かい 人間らしい関係をいただきながら、身体を動かし、働いて、実家でただ、独りでいるときより、身体もこころも健やかさを取り戻しつつあった。
過敏性腸症候群、足底胸膜炎、そして、メンタルのPTSDいろいろあって、就職できなかったのだ。ただ、社会に出ることに憧れていた。
実家では、メンタルが病んでしまったが、主人は、そんな私を気に留めてくれて、付き合っているうちに駆け落ちしてまで私と結婚してくれた。
そして、この土地へ来た。

主人は、つらい過去なら「忘れな」と、いう初めての人だった。根掘り葉掘り聞かない人だった。
そして、職場のベテランの人たちも敢えて聞かなかった。
私は、こころに土壌が十分培われ始め、新しい土地へ出発した。



       体育会系調理補助 おわり

     長い間ありがとうございました。

©2023.10.2.山田えみこ

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