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「緑酒」で、ないまぜなものが込み上げてきたようだ。


20歳のころから、途中すこし休みも挟んだけれど、歌のレッスンに行っている。ボイトレ教室である。

一人目の先生は福岡にお引っ越しをされて、二人目の先生に教わるようになった。この先生には、今もレッスンをお願いしている。もう7年以上の付き合いになる。

レッスンでは、自分が挑戦したい曲を自由に選ぶことができる。一曲をどれくらいの期間練習するかも人それぞれで、とにかくたくさんの曲を歌ってみるスタイルの人もいれば、わたしのように一曲に数ヶ月かける人もいる。

数ヶ月かけるのは、きっと学生時代の吹奏楽部の経験も影響しているのだろう。あの、コンクールに向けて一心不乱に一曲を突き詰める日々!......吹奏楽部を思い出して懐かしむのは今後にとっておくことにして。


今年の2月あたりから、
東京事変の「緑酒」という曲に取り組んできた。

「緑酒」はわたしにとってとても難しくて、
とくに最初のうちは、「だいたいメロディー覚えてるんだけど、細かいところがなんかあやふや」とか、「ついていくのに精一杯」とか、正直なんでわたしこんな難易度高い曲選んだんだろうとさえ思った。今だから言えるけど。

それでも、ここはこういうふうに歌うと安定しそうとか次のフレーズへつなげやすそうとかひとつずつ少しずつ先生と練習を進めて、
先週ついに、この曲は一段落つけて、次の曲を練習しようということになった。

仕上げの意味合いで最後に一度歌ったとき、とあるフレーズに差し掛かったところで急にこみあげてくるものがあった。

次世代へただ真っ当に生きろと云い放てる時
緑酒/東京事変


ああ、こういうふうな大人になりたいなと思った。

「次世代」が、分別つくようになったら、自分で考えて進んでいくことのできる年齢になったら、わたしはもう「真っ当に生きなね」と言い放ちつつ、ちょっと離れた位置から見守る大人になりたい。

「次世代」は分別がつくようになっているのだから、意見や助けが欲しいときには求めてくるであろう。
そのときに出てきてちょっとひとこと言って帰る、みたいなことがしたい。

めちゃくちゃかっこいいではないか。

もちろん、心してでもいつの間にかでもどっちにしろ、とにかく自分らが扶養側へバトンタッチされていたら、そもそもまず「次世代」に責任を負って、真っ当に生きるために考える力などを育まねばならない。

そういう役目を務めあげて、ときが来たらこんなふうに言える、こんなかっこいい大人になりたい。



と同時に、わたしはいまこんなふうに接してほしいと思っているのだな、と気づいた。
上の世代の、たとえば身近なところで言えば親とか義理の親とか、それくらいの世代から見た次世代である我々に、「ただ真っ当に生きろ」と云い放ってすこし遠くで見守っていてほしいと思っていたんだ。

※ちなみに10歳や20歳くらい上の先輩たちに対する感覚は、不思議なことにまた違っている。今のところ。どちらかというとこっちからかかわりに行きたいと思うことが多かったりする。今のところ。



自分がなりたい憧れの大人像は今自分がしてほしいことでもあって、未来と現在とか、自分の理想と他人への欲求とか、そういういろんなものが歌っているときにないまぜになって表に出てきた感じがした。



わたしは、「緑酒」から、
歌い方の面でも歌詞の面でもさまざまな気づきを得た。

これからも聴き続けたい。

そうしていたら、またなにか自分でもはっきりと捉えきれていなかった気持ちが表出してくるかもしれない。


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