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「面倒くさい」は危険のサイン

あれは、看護師になって、3年目でしたでしょうか。

仕事にも慣れてきて、後輩の指導やリーダーを任されるようになってきたときです。

看護師歴2年目の後輩と夜勤に一緒に入ったときの出来事です。

当時、私が勤務していた病棟は、糖尿病の教育入院が多く、自立した方(自分で動けたり、生活できる方)が多くいました。

病棟のある一画は個室になっており、金銭的に余裕がある方や、病状がある程度落ち着いている方などが入院していました。

糖尿病で教育入院をする方は、自覚症状に乏しく(つまりどこも痛くも苦しくもない)、病院のバランスのとれた食事を摂取し、薬のコントロールをしたり、検査をしたり、退院後の生活について学習をしたり、運動をしたりしますので、研修旅行のような感覚に似ているかもしれません。

さて、夜勤では、定期的に部屋を見回り、変わりがないかを確認していきます。状態が悪い方は頻回にお部屋に見回りに行きますし、もちろん、病状が落ち着いている方や、教育入院の方のお部屋にも、見回りに行きます。

でも、わたしは、常日頃から、夜間に普通の方(痛い、苦しいなどの症状がないような方)のお部屋に何度も伺うのは、起こしてしまうかもしれないので、気が引けていました。

その日も、いつも通り、見回りをしていたのですが、一番奥の部屋の手前で、ふと、面倒くさいな、と思ったのです。

起こしてしまうだろうし、元気なのだから、なにもないだろうし、と、わたしは、一番奥の部屋だけ、1回見回りをskipして、ナースステーションにもどり、後輩と休憩を変わりました。

仮眠をとって、1時間くらいでしょうか、後輩がわたしを起こしにきました。

一番奥の部屋の人が血を吐いて倒れているというのです。

部屋に行くと、医師が口の中から、血液を吸引していました。

わたしは、最後の見回りをとばしたので、3時間くらいは見回りに行ってなかったことになります。

いつ、吐血したのかはわかりません。

もしかしたら後輩が見回りをする5分前かもしれないし、30分前かもしれない。1時間前かもしれないし、2時間前かもしれない。

でも、もし、最後の見回りを「面倒くさい」と思わずに、ちゃんとしていたら、少なくとも、1時間前の見回りの時の状態が知れたのです。

私は怖くなりました。

と、同時に、最後の見回りをとばしたことを心から悔やみました。

患者が回復することを心から望みました。

それは、患者のことを思ってというより、もし、患者に何かがあったら、自責と後悔の念を抱えて生きていかなければいけなくなるからでした。

自分の保身を第一に考える自分に、さらに嫌気がさしました。

いつもちゃんとやっていても、たった1回「面倒くさい」と思って手を抜いたことで、全てがなくなる、そのことを実感しました。

あれから10年以上もたちますが、それ以降も「面倒くさい」と思うことはしばしばあります。

でも、「面倒くさい」と思ったときは、いつも、この出来事が頭に浮かんでくるのです。

「面倒くさい」をそのまま実行したら、そのことで何かがあれば、あとで、その「面倒くさい」を実行した自分を責め、後悔し、自分を嫌いになることを思い出すのです。

だから、わたしは「面倒くさい」と思った時ほど、それは、嫌なことが起こるサインだから、何が起きても、自分がちゃんと真摯に対応したと胸を張って言えるように、ちゃんとやることにしています。

もちろん、常にちゃんとやるのが一番なんですけれどね。











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