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贅沢な生き物

3年くらい前に、自尊心がズタズタボロボロになる出来事があった。

それで、やりきれない気持ちをどこかに分散したくて、通信大学に通うことに決めた。

フルタイムで仕事をしていたし、育児もあったから、卒業までは3年はかかるよ、と、当時の看護部長に相談したときに言われたけれど、私は最短の2年で卒業すると決めていた。

そして、大学に通ってすぐに、スクーリングで知り合った友人が、公認心理師という国家資格ができたこと、わたしに受験資格があることを教えてくれた。その時に、国家試験に1回で合格することも決めた。

自分にギリギリのラインの負荷をかけたかったから。

途中、タスクの多さに、もう無理だと諦めかけたことが何度もあったけれど、なんとかギリギリ乗り越えて、有言実行することができた。

なぜ、あれほどまでに頑張れたのか、と思う。

私が頑張れたのは、失った自尊心を何とか取り戻したいという一心だった。

それほど、自尊心を失うということは、苦痛なことなのだ。

そうして、有言実行することができた私は、今、のほほんとした毎日を送っている。

苦しく、辛い、あの毎日は何だったんだろう。

でも、苦しくて、辛い、あの毎日が、今思い返すと、とても充実して有意義な時間だったように感じる。

今は、こんなにのほほんと穏やかなのに、なぜか物足りなく感じる。

このまま穏やかに毎日を過ごして、一生を終えるのかと思うと、恐怖に感じることさえある。

人には、きっと適度なストレスが必要なのだろう。

ストレスって、刺激のことだから、悪いことばかりではない。

例えば、「結婚」「妊娠」「出産」など、幸せで喜ばしい出来事も、心身に負担がかかるという意味ではストレス源になりうると、社会再適応評価尺度(Homes & Rahe,1967)の結果ででている。

自己に負えないストレスはごめん被るが、適度のストレス、変化はやはりあったほうがよい。

安定して、何の変化もない毎日は一方で素晴らしいようでいて、一方で退屈で物足りなさを感じてしまうから。

それも人によるのかもしれないが、少なくとも私はそう思う。

自己に負えないストレスというと、どの程度だろうか。

少なくとも、最下層の生存の欲求を脅かすまでのストレスはいらない。

そこまでのストレスは、否が応でもいずれ感じることになるだろうから、今は、その最下層の欲求を満たしたうえで、上層の部分でのストレスを欲する。

幸せでいることが物足りないなんて、人間はなんて贅沢な生き物なんだろう。




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