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過去を手放すとは、執着を手放すことである。

今日は、「手放し」について書いた。

私は手放さなくてはいけないことが多すぎて、どんなに捨てても捨てても、まだ奥から出てくる感じ。

断捨離しているのに、まだ押し入れの奥からいろんなモノが出てきてビックリ・・・みたいな感じなのだ。

これは、タマネギの皮むきに似ている。

剥いても剥いても、なかなか芯に到達できない。

どの辺りで剥くのを止めるか・・・この加減も難しい。

でも、タマネギと一緒で、包丁でザックリ切れば、何処を切ってもタマネギの汁が飛んで、涙が出るほど目にキツくしみる。つまり「自分の過去」とは、何処を切っても、どんな切り方をしても、必ず目が痛くなるような変な汁がプシューとほとばしる・・・ってことだ。どんなに甘美な思い出も、時間が経てば熟れすぎた果物のように膿んでくることもある。過去の記憶は、若干のノスタルジーと共に「恥ずかしさ」や「痛々しさ」や「生々しさ」を漂わせてくる。それを美味いと感じるか、不味いと感じるか・・・。それは今の自分の感覚で決めればいい。そして、それらを「手放す」か「手放さない」かも、自分が自分で決めなくてはいけない。何を残して何を手放すか・・・については全くもって個人の自由だ。

しかし今回、この「手放す」というテーマを通して自分を見つめながら、私は自分の過去の多くを手放そう・・・と思った。

というのも、半世紀も生きてきたから、自分の中に「過去」が溜りすぎたのだ。自分のメモリーの容量が満タンになりつつあるから、ここで棚卸しして要らないモノは手放して身軽になろう・・・と決めた。

ちなみに、「過去を手放す」とは、過去にあった出来事全般を全て無かったことにして完全否定する・・・ということでは全然なくて(汗)、「もう過去のことにこだわらない」ということだ。過去の出来事にドロドロとした感情を絡ませていつまでも過去のことに執着してしがみつく・・・ということは止めるのである。これが「過去を手放す」ということだ。

私は今まで生きてきた中で適当にタイミングを見ながら、不要な過去をサクサクと手放してきたつもりだった。ところが、まだ少し残っていて、これが私にネガティブな刺激を与えていたんだ・・・と、初めて気づいた。

もう自分のネガティブさに対して、「火に油を注ぐ」ようなことはしたくない。過去の記憶に絡みつくネガティブな感情の全てを手放そう・・・と思った。

感情を抜き取り、過去の自分を供養して浄化し、過去を清浄する。

こうして「ただの過去の出来事」となった体験の記憶を、今度は新しく「愛」で塗り替えていく。

この愛は、人から得るのではなく、私から私への愛。

人から貰った愛で埋め合わせようとしても、この場合は絶対にうまくいかないことを、過去の経験から私は知っている。

他人からの愛を補充するのではなく、私が私を愛することで、私の傷を癒やし、私のエネルギーを補充し、私自身を温かく包み込んでいこうと思った。

愛を自分の中で循環させていくのだ。

◇◇

「手放す」とは、簡単そうでなかなか難しい。

でも、「執着を手放す」といえば、気軽にできるのではないだろうか。

手放すことを怖からず、恐れず。

自分の人生を快適にするために、不要なモノは遠慮せず自由にどんどん手放していけばいい。それで周囲が変わることはない。自分自身が変わるのだ。






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