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災害という点で見ると、東京って非常に怖い場所だと感じていた

(以下は、私のひとりごとです・・・)

今回の台風19号のことで、主に首都圏で避難所のことがいろいろ問題になっているらしい。

台東区でホームレスの人が避難所から閉め出されたとか、避難所に行ったけど満杯で入れず自宅に戻ったとか、避難所の職員に「飯は出ないのか!毛布はないのか!」と詰め寄る避難者がいたとか、云々。

そのほとんどがTwitterから流れてきた情報が発端となり、問題が大きくなったケースなんだけど、地方在住者で、何年も前から自然災害に晒されて何度も避難所に避難した経験がある者から言わせると、「何を今更・・・」という気分になる。

というのも、被災者目線で東京を中心とした首都圏を見ると、ものすごく怖い所に感じられるからだ。

上京して、人がいっぱいの電車や地下鉄に乗る度に・・・、東京特有のゴチャゴチャした街の中を歩く度に・・・、たくさんの人でごった返す駅の構内を歩く度に・・・、繁華街のデパートのビルの中で・・・等々。

そこで、いつも感じることは、

ここで大型地震が起きたら、私はここで死ぬしかないな

ということ。人と人との距離感が全く無いほど建物が密集していて、巨大なビルが森の木々のように乱立し、異常なほど沢山の人で溢れかえっている東京は、正直「恐怖」と「不安」の塊みたいな場所である。

こんなところで有事があれば、逃げ場なんかないから、死ぬしかないだろう・・・と本気で思う。

東京で乗り物に乗っている時も、首都高速をバスで走っている時も、

ここで災害か起きたら、間違いなく死ぬわなぁ・・・

という気分に陥る。デパートのビルの中なんて棺桶みたいなものだ。人でごった返している渋谷駅や新宿駅も然り。災害時には、どんなに逃げたくても出口に到達する前に人混みに押されてもみくちゃになり、壊れた建物に閉じ込められて、その中で静かに息絶えるだろう・・・と常々思う。

だから、私は上京する度に

ここで死んでも仕方が無い

・・・と腹をくくり、諦めの境地で行くようにしている。

これは「大げさ」ではなく、本気の本気。

こんな調子なので、用事を済ませて東京を後にし、無事に首都圏を抜けて、程よく「空き地」や「田畑」や「山野」がある場所に出てくると、

ああ、助かった

・・・とホッとする。

ここなら逃げ場所もあるし、自分のスペースが確保できる。命拾いした。

・・・と安堵する。

だから、今回の災害で避難所の問題が出てきたとき、「そりゃそうだろう」と思った。

田舎の人が少ない地域でも、また何度も避難所を開設して慣れている地域であっても、同じ災害が起きるわけではないから、毎回、臨機応変な対応が迫られる。そのため、避難所でも様々なことが起きる。ましてや今回の東京のように、初めての災害で、初めての避難所設置なら、担当の行政職員だってテンテコ舞いでパニクっていたはずだ。しかも外は暴風と豪雨。

それに今回の場合は、一般市民に対して、台風が上陸する何日も前から「台風が来るから、各自で備えておくように・・・」と国からも自治体からも重々言われていたのだ。決して放置していた訳ではなく、ちゃんと前もって指示は出されていた。

ならば、その間に、避難所の場所を調べたり、前もって自治体に問い合わせたり、必要なモノを各自で準備する時間はあったはずだ。前もって分かっていたことなのだから、ちゃんと用意しておくことは当たり前のことである。

でも、今回が初めての被災だと、体験がない分、何をどう準備して良いか分からず、すごく困った人も多かったと思う。

だからこそ、今回の体験から「学ぶ」ことが大切。

今まで過去に被災した人たちの話を聞く機会があっても、半分「他人事」のようにしていたと思う。人間は、自分が実際に体験したことで無いと身をもって真剣に聞くことができない生き物である。どうしても他人事として受け止めてしまい、骨身に染みることがない。

今回の災害体験を「失敗」という風にネガティブに受け止めるのではなく、「今回の体験のお陰でいろんなことを実地訓練的に学べた」・・・とポジティブに受け止めていくことが大切だと思う。

市民の人たちも、行政の人たちも、それ以外の人たちも、今回の体験を心に記録しておき、またいつか来るであろう「次の災害」への備えのために、今回の体験から得た教訓を残していくことが大事だと私は思う。

特に、首都圏は、狭い土地に大量の建物が建ち並び、多くの人間が密集して暮らしている訳だから、「とりあえず避難所さえ行けば手厚く面倒を見てもらえる・・・」という観念は捨てた方が良いんじゃないかな。避難所のスペースは限られているから、避難所から溢れた人たちはどう対処するか・・・は、今後の大きな課題になるだろう。

あと、避難所で「飯はないのか!」と詰め寄る人がいたという話だけど、最低限、自分の食べる分は確保して、それを持って避難することは大事なことだ。だって、非常食の支給を当てにしていても、災害の状況によっては出せないこともあるし、数が足りないこともある。

クレーマーみたいに文句を言ったって、無いものは無いんだし、出ないモノは出ない。泣いてもわめいても脅しても、出せないものは出せないのである。こんな当たり前の道理ですら、感覚が麻痺して分からなくなっているほど、私たちの暮らしは便利すぎて快適だった・・・ということなのだろう。

だから、「飯はまだか!」と怒鳴る人は、飯の確保にどれほどの時間と労力が要るのか、また、この緊急時、飯を要求する前に、自分も「飯の確保」のために何かお役に立てることはないか、手伝えることはないか・・・を、これを機に心して考え学んで欲しいなぁと切に思う。

これは田舎の避難所でも一緒。

ただ田舎だと、避難者のほとんどが顔見知りだから、互いに持ち寄ったモノを分け合うことはよくある。助け合ったり、声掛け合ったり、そんな地域の横の繋がり・ネットワークを日頃からちゃんと築いておくことも必要だと思う。

最後に・・・。

世間では、起きてしまった問題に腹を立てて、国や行政のトップを責め立てて、それで憂さを晴らそうとしたり、他人の言動を追及して揚げ足取りに精を出している人もいるけど、そんなことをしても時間と労力の無駄である。

何度も言うけど、都会は「災害」という観点で見ると、非常にリスクの多い怖い場所である・・・ということ。

私なんて、上京する度に「ここで地震が起きたら死ぬしかないな」と覚悟を決めながら高速バスや新幹線に乗る訳で、そんな命懸けで訪れる場所に、都会の皆さんは普通に住んでいるのだから、本当にすごいことだ・・・としみじみ思う(汗)。

この台風の体験を良い機会に、首都圏の皆さんも防災意識を高めて、自分の命を守ることに対して、主体的に前向きに取り組むようになると良いな・・・と思った。

というのも、今までずっと国内の各地で起きる自然災害に対して、地方と首都圏では微妙に温度差があって、それはおそらく首都圏の人たちに、当事者として「避難した経験が無い」ことが原因ではないか・・・と感じていたから。これからは、この経験が生きていき、何事も他人事で済ませないで、皆で共通認識できるようになると良いと思う。

日本に住む人々で心を一つにして、皆でこの大変な状況を乗り越えていきたい。今までのように、何か起きる度に、誰かターゲットを見つけて怒りをぶつけたり、執拗に責め立てたり、文句を言って揚げ足をとったり、悪い噂を拡散したり・・・等、もう、そういう風潮から足を洗って、いい加減、卒業したいものだ。

私たちは非常に不安定な世界で生きている。だから、災害が起きても当たり前。そう腹をくくって、前向きにいくしかない。そういう覚悟が各々に必要な、そういう時代の大きな節目の時なのかもしれない。

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自然豊かな山の街で暮らすアラフィフ女子です。子育てを卒業して人生を謳歌中。日々のつぶやき、不思議なこと、日常のひとこま、心に思うことを書き綴っています。国文学科卒の元国語科教師。2018年3月6日からnote開始。 https://www.emiko258.com/

コメント2件

Emikoさん、前向きドグ〜!(*´Д`)!!
山田スイッチさん
ありがとうございます😌♥️
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