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死と保険

最近、生命保険を解約した。
正確にいうと、すごく少なくした。その話をする。

実家の話から始めよう。
我が実家は共働きの核家族、子は一人であった。父母は子に財産を残すことを何よりも重視した。子は、学ぶことに不自由しなかった。そして、どうやら親から貯蓄を準備されているらしかった。親は積み立ての保険を早くからかけており、自分の医療保険だけでなく、いろいろな保険を並列させていた。そんなだから、子が親の干渉を疎み実家をでた後でも、子は「保険はかけるもの」という認識をしばらく当然のものとして、「自分が働けなくなってもいろいろ大丈夫なように」保険金を毎月払っていた。以上。

年度の初めに仕事を辞めて、どうやら私は人生で初めて「夫に養われる身」になるらしかった。とはいえ収入を0にするのは自分にとってはどうも不自由で、一定の金額を得られるように生活を整えた。が、そこで自分が家を出てからしばらく、といっても10年以上のことだけど、払っていた生命保険料に気づくのである。

月、約16000円。私の命は、そんなにはらわなきゃいけないほど重くない。
「自分が働けなくなっても」って、そんな働いてない。

想像した。
死亡補償金を払われる時のこと。
長く入院しなきゃいけないくらいに、体が害された状態のこと。

三大疾病ってあるでしょ。がん、心疾患、脳血管疾患。
私は、成人より前から「がんになったら治療しない」という主義を持っている。誰かに押し付けることはしない。影響を受けたような気もするし、それでいいと思ってる。自分の体の裏切りは、そのものとしてありのままに受け入れると決めた。体が死ぬと決めたのなら私も死ぬ。
心疾患、脳血管疾患は、治療時期と疾患範囲によっては治ることもある。けれど、原状回復できないのなら、つまりは私が私と認知する私でいられないのなら、「肉体として生き残った」としても私には無価値であるように思えた。これも、誰かと共有しようとしている価値観ではない。事実、私の配偶者は多分この価値観を理解できないし、私も理解させようと思っていない。だから、たとえば事故で脳を損傷して、生きてるけど右手が動かないとかそういう結果になったら、私は退院してすぐに海に沈もう。

だから想像した。
私は、しぬ。それは確かである。
死亡原因の約半分は三大疾病。じゃあそれで死ぬかも。

①私が死んでひと月、うちの配偶者にはのんびりしてほしい。私が即死してたらいいんだけど、もしかしたら悩ませたり苦しませたりするかもしれないし。

②闘病、する気もないからできるだけ負担はかけたくないけど、家族はもしかしたら10日間くらい、私が管に繋がれてしにゆく様子を眺めていたいかもしれない。その間くらい、入院費用のことを心配しないでいてもいい状態にしたい。

いろいろ想像して、私が死ぬという時に残さなければならない「余裕」とはこの2つであろうと思った。私は死ぬだけなので、家族が、特に唯一残される配偶者が、私の死の混乱から立ち直れるまでの金銭を私の死によって錬成しなければいけないという使命を思った。

そういうことで、
保険金として契約していたいろんなあれこれをとにかく削ぎ落とした。
(がん保険なんて、なんで入ってたんだろうか????)
それで、
①のための、死亡一時金(?)
②のための、入院費補償金(?)
みたいな、そういうやつだけにした。

削ぎ落としの契約をして、心が軽くなっていることに気付いた。
これでいつでも死ねるなと思ったし、小さい頃から親が私に「お母さんが死んだら…」「一人でも生きていけるように」と言っていたことばから本当に解放されたと思った。
保険が私の命を縛っているような気がしていた(生きねばならぬ)。
それを軽くすることは、命を軽くすると同時に、生きねばならぬという義務感を軽くした。私はいつ死んでも大丈夫で、そのためのコントロールは自分の手にだいぶ大きく握られたように思った。

私は泳げない。
私は海の近くに住んでいる。
この海では、毎年人死にが出る。
私はいつでもこの海で死ねる。だから海の近くに住んでいる。
こうやって心は軽くなり、命がおどる。よかった。

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