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亡き母から学んだこと:子育ては無償の贈与。バトンをつなごう

おはようございます!
本日は、

亡き母から学んだこと:子育ては無償の贈与。バトンをつなごう

といったテーマでお話ししようと思います。

先日、私の母の13回目の命日でお墓参りに行きました。
家族全員揃って近況報告といったところです。

夫:「家族が健康でいられるように見守ってください」
長男:「宿題が終わらないので、あきらめようと思います!」((゚ω゚)カオス!&ラリアット!!)
次男:「ミュージカルを習い始めました!楽しいです!がんばります!」(かわいい(*´ω`*))

それぞれ、ばぁばに話しかけていました…
そんな私の母。
どんな人だったか…エピソードや思い出を振り返り、彼女から学んだことをお話ししようと思います。

〇昭和のオカン!代表

あの…最初にお伝えしておきたいのですが、私の母はめっちゃ昭和のオカン!て感じで、おしとやか、大和なでしこ、のような言葉は皆無。わかりやすいエピソードをお伝えすると、母はママさんソフトボールを嗜んでいたのですが、練習の日は汚れてもいいようにガッツリ、ユニフォームを着用。たくましい女性です。しかもあろうことか、私の小学校の授業参観に、練習からユニフォームのまま、教室に入ってくるツワモノです。当時は「めっちゃはずい…」と顔を赤くしてうつむいたのを覚えています。髪の毛は「邪魔だから」と常にショートカット。刈り上げまでおまけについてきます。カッコよすぎ( ゚Д゚)!そして厳しい。怒られたことは100万回くらい覚えていますが褒められたのは人生で2,3回くらい。
本当は…そんな思い出を笑って母と直接話したかったんですが、お察しの通り、もう彼女はこの世にいません。

母が育ててくれたように、今、私自身が子どもたちを育てていく中で、母から学んだこと、今だからこそわかった気づき、をお話していこうと思います。

・好きなことを好きなだけやりなさい。

「好きなことを好きなだけやりなさい」
両親の子育てを象徴する言葉です。母親だけでなく父親もこの言葉を伝え続けてくれたこと、改めて感謝しています。私の家は名家でもお医者さんの家系でもありません。ですから幸か不幸か「将来は○○になりなさい」といったレールを敷かれることは一切ありませんでした。それどころか「勉強しなさい」とすら言われた記憶がほとんどありません。人生の選択権を常に私自身に与え続けてくれました。これは本当にありがたかった。なぜなら好きなことをやりなさい。とはつまり「言われたことをやる」のではなく「自分の頭で考えて選びなさい」というメッセージでもあるからです。私の実家は裕福ではなかったため、実際にはやりたいことを上限なくできたわけではありません。しかし大切なのは考え方。与えられるばかりではなく自分で何とかする能力も鍛えられたと思っています。面白いもので、意識しているわけじゃないんですけど、自分が育てられたように、自分の子どもも同じように育ててしまうものなんです。私の息子たちへの口癖も「自分の好きなことをやりなさい」
今、キーボードを打っていても笑ってしまします。

・耐える背中は誰よりも大きい。

母は強い人でした。負けん気が強くて、曲がったことが大嫌い。だから父親とよく衝突していました。父親は、こんなこと故人に言うのは失礼ですがお世辞にも「立派なお父さん」とは言えず、お金にもお酒にも家族に対してもだらしがないところが目立つ人でした。母に大きな声で暴言を吐くこともありました。その光景を思い出すと今でも胸が絞めつけられます。幼かった姉と私は父親の怒鳴り声がするたび、部屋の隅っこに寄り添って「大丈夫、だいじょうぶ…」と励まし合っていたことを覚えています。それでも、母は耐え続けました。私たちを守るために。自分さえ我慢すれば家族という形を保っていられる。と思っていたのでしょう。悲しくても辛くても、母親が泣いた顔をほとんどみたことはありません。子どもを守り抜く母親の背中は誰よりも大きく見えました。私は到底かなわないけど、それでも息子たちにとって「お母さんがいてくれると安心だ」とホッとしてもらえるような存在でありたい。家の中は心地よい空間を創ってあげたい…。と思いがんばれるのは間違いなく母のおかげです。

・最期まで人を想い続けた人。

母親は13年前、「ステルス胃がん」によって亡くなりました。わかった時にはすでにステージ4。いわゆる末期の状態。先生から「早ければ余命半年です」を伝えられた時は頭が一瞬で真っ白に。ちょうどそのころ私のお腹の中では、長男が小さい心臓をトクトクと懸命に鳴らしていました。結果的にはそれから1年半もの間、母は懸命に生きてくれました。長男を抱っこしたときのあの満面の笑顔は今でも鮮明に覚えています。嬉しかったな…。
母は本当に強くて…とても優しい人でした。いつも自分のことより人のことばかり気に掛ける人で。闘病中の病院でのエピソード。ツイッターに投稿したところ、たくさんの方に届いたのでご紹介させていただきますね。

最期は抗がん剤やモルヒネで本当に辛かったと思います。それでも自分のために一生懸命、面倒を見てくれる看護婦さんにずっと感謝の言葉を絶やしませんでした。その後の葬儀では驚くほどたくさんの方々が母に手を合わせにきてくれました。ご近所のお友達、ソフトボールの仲間、職場の同僚…途切れることのない行列をみて、私は改めて母の偉大さを知りました。母の人生は決して優雅でキラキラしたものではなかったと思います。苦しいことをたくさん耐えてきたと思います。それでもこれだけの方々に惜しまれ、涙を流してもらいながら見送られている姿を見ていると、人生にとって本当に大切なものを、言葉ではなく生き方そのもので教えてくれていたのだと感じました。私が一番尊敬している人です。

〇まとめ「子育ては無償の贈与リレー」

私は母の子どもとして生まれてくることができて本当によかったと思っています。こうやって改めて振り返ると、母が私にしてきてくれたことはすべて「無償の贈与」なんですよね。見返りを一切求めず、ただただ、我が子の幸せを願って与え続けてきてくれたのだと思うんです。この言葉にできない感謝を恩返しすることはできません。私ができることは次に継ぐこと。母からもらった愛情も学びもすべて、息子たちに伝えていこうと思います。そしてもうひとつ大事なこと。それは私自身が幸せであること。きっと母の一番の願いだったと思うので…

本日も長々、ご一読いただきありがとうございました。
最後まで読んでくれてとても嬉しいです。
オカン、ありがとうっっ!!!


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