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心の色

「色図鑑」が11月の「ふみサロ」のテーマである

 
 中二というと思春期真っ盛り、私のあだ名は「くろんぼ」「土人」だった。そう呼ぶのは、悪ふざけばかりしているやんちゃ二人だけだったが。
 不登校になりかねない、いじめそのものだったと思うが私は相手にせず、いなしていた。彼らはかまって欲しいのだと気付いていた。
 それなりに傷ついていたが、無視し続けた。周りの友達も同情したが私がけろっとしているので放置してくれた。

 私は色黒は気にならなかったが、ニキビだらけの顔がアバタのようになって悩んでいた。でも「くろんぼ」「土人」はないよなぁ、と思うだけで、無関心を装っていた。中三になってやんちゃな二人とクラスも離れ、あだ名で呼ぶ人はいなくなった。
 
 母は抜けるほど色が白い、ニキビだらけの私に「不潔にしているからニキビだらけになるんだ」と冷たい言い方をされ、私だってなんでこんな汚い顔になったのかつらいのだと言いたかったが潔癖症の母に云っても仕方ないと何も言えずにいた。
 本を読んでいるとき無意識に手は自分の顔のニキビをいじってしまう、つぶしてしまうこともあった。母が横から手をぴしゃッと叩く、本に夢中になっている私はいきなり手を叩かれたときはビックリをとおり越して、怒りが込み上げる、何か言いたいが言葉が浮かばず飲み込んだ。
 
 高校になって、友人から理不尽なことを言われて言い返せなかったことが悔しくて、一日考えて絶対、自分の感情を言葉で伝えようと決心し、シュミレーションまでして準備した。
 そして翌日、話があると伝えたまではいいが結局別の話をしてしまった。

 この出来事から、自分は傷ついているのに何も言い返せないダメな人だと、劣等感にうちひし枯れ自己肯定感はダダ下がり。
 人に嫌われたくない、好かれたい、何を言われても、毅然と言い返すことができない自分は価値がないと自分を否定するようになった。

 それから何年かたって、気づいたら私は人の言動を無視するようになっていた。人の言うことに反応しないと無意識に決意したようだ。
 それはひたすら相手に合わせるか、反論しないで反旗を翻す、つまり平気で人を裏切ることや、無茶苦茶な対人関係行動をとり、自分も傷つき、他者も傷つけることをしてきた。

  色というワードは私の心に潜むダークな、ネガティブにいきついてしまったようだ。
 今ようやく、薄日さす夕暮れの明るさを放つようになれたと思っている。

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