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チームスポーツを学生時代にやっていたか否かは主体性と意見表明の強さに相関する説

チームスポーツには自己主張と周りへの意見表明が必須になる。

僕の好きなヤン・フェルトンゲンの神コンテンツが上がっていたのをたまたま目にした。そこではヤンさんがキャプテンとして周りの選手にかなり声をかけていた。

この声出しはキャプテンかつ経験が豊富なリーダーとしての職務ではあるが、多かれ少なかれサッカー選手には必要な作業の一つであると思う。

実際、僕はサッカー部ではなく、サッカー部の練習や練習試合をわき目に見るくらいだったので、部活でそんな声出しをしていたかはよくわからない。

けれど、仮にチームへの声かけ、声出しをスタンダードに部活でもやるとすれば、チームスポーツを部活で行ってきた人は主体性と意見表明が体に染み付いているんだろうなと思う。

これは後の人生にかなりの影響を与えるんじゃないだろうか。

主体性と周りへの意見表明が身についている人間とそうでない人間の差は大きい。自分のアイデアを持ち、それを間違っているかもしれないが、周りに伝えることは何をするにしても重要だ。サークル活動でもグループワークでも就職活動でも恋愛でも重要になる。

ここでボールを要求してもオフサイドになるだけ、というシーンでもとにかく要求するストライカーがチームメイトとの話し合い、監督の指導やビデオでの振り返りなどを通じて、適切なタイミングでボールを要求することができるようになり、裏抜けの成功率を高めていき、就活でESをガンガン書いてはキャリアセンターで添削してもらう就活生になる、みたいなモデルを想像してみる。

ある程度はなんでもうまくいきそうだ。

自分の意見をラフに言うことが許される環境を持って育ったかどうかは、かなりその先の主体性と意見表明に影響するだろう。つまりピッチの上でとにかく声を張り上げて「こっち!!ボール!!!」と言うのが当たり前の環境で学生時代を過ごした人間か一人で本を読んだりゲームをしたりしている人間かでは周りの人間との関わり方が全くもって違うのは当然だ。

PDCAサイクルを高速でぶん回し、「なんか分からんけど上手くいったわ」状態を作り出せるのは自分の意見をラフに言える環境で実戦を重ねてきた人だろう。いつまでも頭の中でこねくり回しているようでは、何も掴めはしなさそうだ。

もちろん卵が先か鶏が先かは分からない。自分の意見をラフに言える人間がサッカー部に所属するのかもしれない。でも、とにかく僕が子どもを育てることになったら迷うことなくサッカーをやらせると決心した今日この頃でした。

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