教え育てる
僕は、昔の教育は教育ではなかったんじゃないかと、最近思う。
昔の教育を受けてきた人間じゃないから、正確に「昔の教育とは何か」を知らない。そして教科書の内容を真面目に勉強して、参考書で受験勉強をしてきただけだから今の教育についても詳しくはない。
ただ、教育者の心構えというか、接し方は変わったと思う。
昔は体罰があって、生徒を『普通』にするために教育をしていた。
でも今は明らかに先生が優しい。友達のような先生も増えたと思う。そして教師が介入するのは学業面だけになってきている。
僕は昔のやり方は教育じゃなくて淘汰だったんじゃないかと思う。
理不尽な体罰や校則を耐え抜いた人だけが社会に出ることができた。
それに耐えられなかった人は社会には出ることができずに隠された。
そういう淘汰がなされていたから、昔の”社会人”と比べると今の社会人はナヨナヨしているかもしれない、強さがないかもしれない。
理不尽なことに耐え抜いた人は、それはそれは強い。理不尽に耐え抜ける人を作り出せば理不尽な要求でも応えてくれる。
ならば、今の時代は何を教育とするのだろうか。
教育の場所でなくても淘汰は起こる。
ならば早めに淘汰しておいた方がみんなのためになるのか。
それとも多様性を尊重し、それぞれがそれぞれの特徴を伸ばし、より専門的な分業化をするのか。
どんな教育がいいのかはわからないけれど、とにかく教育だけでは十分じゃなくて、実体験も必要だということは、ここまで生きてきて分かっているつもりだ。
理論と実践。
何のための。
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