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寂しさと悲しみ…そして望まれない子として生まれて

ずっと避けてきたこの感情…この感情に触れると怖くて私が私じゃなくなるみたいで、そして私が壊れていくような感覚 一番怖かったのは、私という人間を保てなくなるような感覚があって触れるのがとても怖かった…


何度も寂しさを感じ、何度も悲しみを感じては、そっと私の中に閉じ込めていた。

それは私の中にずっと溜まっていき大きなものになっていった。その頃にはもう触れることすらできない…触れようとされただけでも怖くなり逃げだした。

「私に触れないで」

苦しみから救ってくれようと私の感情を拾ってくれるも怖くなりその場から離れた

そしてまた閉じこもって平気なフリして、もう限界だったんだよ私

「無理だよ…怖いよ…お願い助けてよ」

心の中でどれだけ叫んだか…

心の中でどれだけ泣いたか…

でもその声は届かない…

それはずっと私の中に閉じこめていたのだから届くはずはない



私は「望まれない子」として生まれた


母の妊娠がわかると同時に父は母に「堕ろせ」って伝えていた。母は私が生まれる前にも2度か3度か子供を堕ろしていたらしくて、今回はどうしても生みたいからと言って「あなたを生んだのよ」って伝えられた。

その時は特に何も感じなかったけど、きっと心の中ではものすごく悲しかったのだろう



そして「お前なんて生まなきゃよかった」


喧嘩した時に出てきた言葉


さすがにきつかったし、辛かった…


私の生命力の強さ…


そして生きるエネルギーはきっとこのおかげというのでしょうか?


「私を生きたい」っていう気持ちはきっとここから生まれたのではないかと思います


そしてなぜこの感情に触れていけるようになったか。

それは私がコツコツと続けていた


自分を大切に扱うこと


自分を知っていくこと


自分を理解していくこと


自分を整えていくこと


これができるようなってくると


「自分で自分を守ること」


これができるようになって、その寂しさや悲しみを「自分で受け止めること」ができるようになったから。


誰にも触れさせられなかったその感情を自分で優しく丁寧に抱きしめて、自分で自分で受け入れ私が一緒に感じる。

そんな技を使えるようになったからのように思います

何度も挫折して

何度も逃げて

何度も自分を否定して

そんな繰り返し

少し大人になった私は、そんな父を理解してあげられるようになって

「親になるのが怖かったのかな?」

そう思います。

父は劣等感がものすごいある人で無価値の強い人だったように感じます。

よく人を貶していました…

よく人を責めていました…

もう亡くなって10年くらい経つのでしょうか

お墓参りはもう何年も行っていません…

理解することはできましたけど、全てを許すことはまだ年月がかかることでしょう

亡くなっているということが私の救いです

10年前の私…きっと目の前にいたら理解することは不可能だったと思います

今の私だから理解することができたのだと思います。


でも父を助けたかったのは確かです…


それだけ父を愛していたのでしょう


「愛してるよお父さん」


生んでくれてありがとう




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