マガジンのカバー画像

グレゴリオ聖歌

55
運営しているクリエイター

記事一覧

祈りを支える

先日、教会音楽の3年間のコースを修了したのですが、その後をどうするか迷っていました。専攻科に行く許可を得ましたが、仕事が忙しく、平日に休みを取って授業を受けるのが難しくなっていました。

一方、在学中よりとある団体のミサで奉仕活動をすることになりました。初めはグレゴリオ聖歌で。そのうち一部奏楽(グレゴリオ聖歌の即興)をするようになりました。グレゴリオ聖歌の即興は在学中の科目になかったのですが、毎週

もっとみる

研修生になった。練習の時に人がたくさんいたので気楽にいたら、当日は9人しかいなくて、前列で歌うことになった。聖歌隊席から見る風景は会衆席と全然違う。3年近く毎週通っていたミサに奉仕することができて、本当にうれしい。グレゴリオ聖歌の最先端の場なので、今まで以上に勉強しないと。

カトリック聖歌集の灌水式の伴奏譜をコピーしたら、前の曲もコピーされていたのだが、「たっちゃんが転んだ、守護天使は黙って見てた」という歌詞だった。今レッスンを受けてるオルガニストに聞いたら、自分も初めて見たけど、子供向けのカテキズムで使うのでは?とのことでした。たっちゃんがんばれ!

ミサで歌い終わったら、肩をたたかれた。学校の知り合いで、私の真後ろに座っててびっくりした。もう一人来ていたそうで、少し噂になっていたらしい。さらにもう一人来ていて、聖歌隊長に話しかけていたらしい。この日はミサのハシゴをした。そして同じミサのハシゴをしていた人を一人知ってる。

旋法はあってないようなもの

オルガンの練習が終わり、次の人と入れ替わるときに、「今弾いていた曲は何ですか?すごくきれいな曲ですね」と声を掛けられました。

即興(というかだいぶ考えて何度も弾いたので、もはや即興とはいえない)だったので、そう言われたことに驚きました。多分、元の曲が美しかったからだろうと思います。

私の感覚では、元の旋律に和声をつけるというより、旋律と歌詞から音を掘り起こしているように思います。彫刻をしている

もっとみる

ウェブに転がっているSanctusの伴奏譜をもとに自分の記憶の中にあるバージョンにアレンジしてる。自分が聖歌隊で歌ったりオルガン弾いたりするなんて全く考えもしなかった。古いこと、歴史を辿ることは最もクリエイティブなことだと弊社の理事長も言ってたし、いていいならいさせてもらおう。

さよなら?

さよなら?

ある日曜日、午前中はミサに行き、午後は聖歌隊の練習に参加し、その後同業者と「同業あるある」話で盛り上がり、美味しい夕飯を食べ、お風呂に入り、いい一日だったと思いながら携帯で職場のメールを見ると、音楽同好会のメーリングリストに「さよなら?」というタイトルのメールが来ていました。「なんとか生き延びてきましたが、もう息がつきそうです。葬儀でレクイエムはご勘弁ください」

その方とはその2週間前、半年ぶり

もっとみる

主に依り頼む人は、シオンの山!

私が教会音楽科に入学した2021年9月、橋本周子先生は入院中でした。グレゴリオ聖歌の授業があったのは年が明けてからで、その時に自分は心不全だとおっしゃいました。それを聞いて、「私は先生から直接教わる機会はないだろう。ならばミサに行こう」と、毎週日曜日は9時半からの聖歌隊のリハーサルも含めてミサに与っていました。

2024年3月10日(日)は四旬節第4主日でした。先生が最後に聖歌隊に指導した最後の

もっとみる

まつぼっくり

母が、小中学校の同級生でシスターをされてる方と久しぶりに会うとのことで、おみやげ運び屋として母に同行しました。

会うのは50年?60年ぶり?とかなり疎遠にしていたようなのですが、ひょんなことから再びつながることになりました(このあたり、すごく不思議で面白いのですが、今回は割愛します)。

待ち合わせの時にお互いにわかるのかなと思っていたのですが、私があの人だ!と気がつき(こういうのはすぐわかる)

もっとみる

日曜の夜

毎週土曜日に学校の晩課に参加するようになって1年半以上経ちました。忙しい一週間が終わり、聖堂でリラックスしながら「教会の祈り」を唱え、マニフィカートを歌い、個人的な誰かのためにお祈りをするひとときは、かけがえのない時間です。

もっと聖務日課に触れたいと思っていたある日、昔の聖務日課のアプリを見つけました。そこにはとても深い世界が広がっていました。それで昔の聖務日課をしている団体にお願いして、日曜

もっとみる
七旬節

七旬節

聖堂でオルガンの練習をしていたら、外国人の方が来てお祈りをされていました。練習後その方と話したところ、グレゴリオ聖歌が好きで、たまに伝統ミサにも参列されるとのこと。伝統ミサには前から興味があったので行ってみました。

教会のベンチはほぼ満席で、若い人も外国人も多いことに驚きました。司祭の説教を母国語のフランス語でする以外は全てラテン語で、開始前のロザリオの祈りもラテン語でした。グレゴリオ聖歌のはっ

もっとみる

フランス人の神父様と一緒に帰った。「グレゴリオ聖歌って難しいよね」「神父様が歌ってるのよく聞こえますし、ミサの時いつも早く来て練習を聞いてるじゃないですか」「KyrieとかGloriaとかはね。ほかの曲はいつ歌っても難しい」などなど楽しくおしゃべりをしながら帰った。

回心の祈りをラテン語で唱える機会がやたらと増えてきたのだが、いつもの日本語だとずいぶん雰囲気が失われる。Mea culpa, mea culpa, mea máxima culpaは、唱えるたびに心が締め付けられるのに、たびたび罪をおかしました、はさらっと流れてしまうように思う。

今日の入祭唱は暗譜してるくらいに一番好きな入祭唱なので、大雨の寒い中2時間かけてミサに行ってきた。今日の福音朗読は今日の神父様で本当によかった。この入祭唱はA年とB年だけなので、来年は聞けない。