ばーばの大学院な日々〜How wonderful!!
子育てを終えて孫の育ちを見るうちに、研究がしたい!と思いたち、仕事を辞めて大学院に進学しました。
それから1ヶ月半、とても楽しく過ごしています。
昨日の授業で、突然のようにわかったことがありました。
なぜ楽しいと感じるのか
取っている科目は「思春期の発達と問題」「認知・動機づけ論」「基礎統計」「研究法入門」「乳幼児発達論」です。このうち「思春期〜」はヴィゴツキーの思春期の心理学を読み合って討議しています。日本語なのに意味がわからないところから始まって、やっとなんとなく見えてきたところです。
入学以来、ずっと楽しいと思っています。院生室での院生同士の会話も、この討議も・・・
どうしてこんなに楽しいんだろう・・・時々感じていました。
自分の感じ方をうまく言葉にできないかなぁと、探しているところでした。
突然わかったことは「通常の大学院だからだ」
ということでした笑
何言ってんだ?という感じでしょうが、私は社会人受験しましたが、社会人大学院ではないので、ストレートの院生が半分以上います。(旧帝大の学部からなのでものすごくクレバー)
なので、討議の視点に多様性があります。ああ、これなんだなあ
昨日の討議のグループはたまたまストレートの院生が多めだったので、入学以来気にしてきたことを口にしてみました。
「難しいこと、理解しにくいことを考える時に、ついつい自分のこれまでの経験に似たようなことはないか?と考えてしまうの。それって自分の方にねじ伏せている感じがして、それはダメなんじゃないかって思うんです。」と併せて、大人の学びにはまずはアンラーンが必要だよっていうことが言われていることを話しました。
そうしたら1人がスッパリと「自分の考えは自分の考えとして、他者の考えを排除するのがダメで、他者の考えを知識として自分に取り込めばいいんじゃないですか?」
あああああああああああそれよ、それ!
私はみなさんの考えを聞くのが楽しくってしょうがないのよ。
なるほどそういうことかあ〜
と納得し、さらにもう一つ気づいたことがありました。これはストレートの院生さんにはわからないことでしょうが・・・こっそり呟くと・・・
社会人大学院にしなくてよかった・・・(全然こっそりじゃない笑)
コロナ禍以前から研修やらセミナーやらに参加するのが好きだったのだけど、だんだんしんどくて緊張するものになってきていました。コロナ禍になり、ZOOMが主になると、物理的に距離があるので、それが少し薄らいでいました。
それがなぜしんどく感じているのかというと、肩書きのぶつかり合いというかマウントを感じるというか辟易するというか、要するに最初に構えが必要だと思っていたんだなあ→自分。
それが大学院では、自己紹介は「〇〇先生の研究室の前田です。」でOK。
ああなんて楽ちん! How wonderful ! and amazing!😄!
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