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豊田社長退任〜自己を客観視できるか〜

昨日、14年間世界のトップ自動車会社であるトヨタの社長である豊田章男氏が退任することが発表された。2009年のリーマンショック後で大赤字からのスタート、その後の大きなリコール問題、東日本大震災など本人曰く『平穏無事な年は無かった』という激動の時代を、大会社を率いて最終的に世界一の自動車会社に甦らせ、22年3月期に最高益を達成させたまま、自ら退任の道を選ぶこととなった。

本人の退任のスピーチをこの後に記載しておくが、まだ本人は66歳という若さであり、決して他の日本の経営者と比較して高齢という訳ではない。
※自ら連れてきた社長をクビにして、返り咲くどこかのおじいちゃん社長もいたが・・・。

豊田社長の記事で印象に残っているのが、確か東京オリンピックの開会式の日に、当然ビッグスポンサーである豊田社長は開会式のVIP席を用意されていたにも関わらず、選手村の自動運転のバスか何かのコントロールセンターを訪問して、現場を激励している場面を見た。『本当に現場の人なんだなあ』という印象を強く持った。

そんな現場を最優先に考える姿勢があったからこそ、もしかすると下請会社の大幅に削減せざるを得ない『EV化』に対して、世界に遅れをとってしまったのかもしれない。

それでも、世界のEV化に一気に追い付くべく、猛追を始めた矢先だけに、本当に惜しい気持ちで一杯である。

豊田社長の退任スピーチの中に『クルマ屋を超えられない。それが私の限界でもあると思います。』との言葉が印象に残った。おそらく、まだ騙し騙し上手く社長を続けることも可能だった思うが・・・。本人にとっても自分の限界を認めることは非常に苦しい決断だったに違いない。(なんと言っても昨年は最高益更新なので)

それでも自分の限界を素直に認め、老害になるくらいなら潔く後任の若い人材に任せようと考えたのは、豊田氏が並の経営者ではないことを世界に知らしめたことだろう。
※退任後は好きなレーシングドライバーを存分に楽しんでもらいたい。

『クルマ』から『モビリティ』への変革に今から対応していくには歳を取りすぎてしまったのだろう。しかし、今回のような決断ができること、それを引き継ぐ人材が育っていることが『トヨタが世界でトヨタ』であり続けられる根源であろう。

世界を席巻した日本のモノづくりは、アメリカ、韓国、中国、台湾などに追い抜かれ、唯一残った車も、EV化の波で自動車産業外の新規参入に脅かされている昨今、今回の世代交代がトヨタの更なる躍進へ繋がる第一歩になる予感がする。

『世界はいつもトヨタの次の一手に注目している。』  

〜退任スピーチ原稿〜

トヨタイムズニュースをご覧の皆様、こんにちは。豊田でございます。
本日の臨時取締役会で本年4月より、会長の内山田竹志が退任し、新会長に私、豊田章男が、新社長に佐藤恒治が就任することを決定いたしました。
その内容をステークホルダーの皆様にできるだけ早く、正しくお伝えするために急遽こうした場を設定いたしました。
最初に、今回の決定の背景にある私の想いをお話しさせていただきます。
トリガーとなりましたのは、内山田会長が退任されることです。トヨタの変革をさらに進めるためには、私が会長となり、新社長をサポートする形が一番よいと考え、今回の決断にいたりました。
内山田会長は、常に、陰になり、日向になって、私をサポートしてくださいました。この場をお借りして、改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました。
私が社長に就任いたしましたのは、リーマンショックによる赤字転落の直後のことでした。 その後も、世界規模でのリコール問題、東日本大震災など会社存亡の危機の連続でした。
この13年間を振り返りますと、とにかく必死に、一日一日を生き抜いてきました。それが私の正直な気持ちです。
危機に陥ったとき、目の前には、2つの道があらわれると思います。短期的な成功や一発逆転をねらう道と自分たちに強さをもたらした本質・思想に立ち戻る道です。
私が選んだのは後者でした。トヨタの思想、すなわち、「もっといいクルマ」をつくり、世界の各地域のステークホルダーに愛され、必要とされる「町いちばん」の会社を目指す道です。言いかえれば、商品と地域を軸にした経営ということになります。
これは、成果が出るには時間がかかり、短期志向の人たちには理解も、評価もされないイバラの道です。
やはり、時間はかかりました。それでも、グローバルトヨタ37万人が、それぞれの町のそれぞれの現場で、もっといいクルマづくりに取り組んできた結果、商品が大きく変わりました。
クラウンやカローラといったロングセラーが息を吹き返し、86やスープラといったスポーツカーも復活しました。働くクルマ、商用車も大切にしています。
TNGAとカンパニー制と地域制。この3つが相まって世の中が必要とするどんなジャンルのクルマでもそれを一番に考える人が会社にはいる。そんな現場をトヨタの中につくることができたと思っております。
そして、2020年には、継承すべきトヨタの思想を明文化したトヨタフィロソフィーをまとめました。次世代の経営トップが道に迷ったときに立ち戻れる場所になればと思っております。
この13年間で、バトンタッチのための土台はつくれた。私は、そう思っております。
次に、佐藤を新社長に任命した理由を述べたいと思います。ひとつは、トヨタの「思想」「技」「所作」を身につけようと、クルマづくりの現場で必死に努力してきた人だからです。トヨタのトップにつく人は、その体現者であってほしいと思っております。
そして、もうひとつは、クルマが大好きだからです。レクサスのディーラー大会で、何を伝えればよいか、彼が悩んでいたことがありました。
私がアドバイスしたことは、「私の真似ではなく、個性を大切にしてほしい…」。それだけです。
そのときに彼は、こう言いました。「モリゾウさんがクルマの運転が大好きなら、私は、運転する人を笑顔にするクルマをつくるのが大好きです」。
自分の会社の商品を「大好きだ」と言える。これは、本当に大切なことだと思います。佐藤新社長であれば、商品を軸にした経営をさらに前に進めてくれると信じております。
さらに付け加えるとすれば「若さ」です。「正解がわからない時代」に変革を進めていくには、トップみずからが現場に立ち続けることが必要になります。
それには、「体力」と「気力」と「情熱」が欠かせません。若いということは、それだけで大きな魅力だと思います。
佐藤新社長には、ひとりで経営しようと思わずに、チームで経営してほしいと伝えました。
この13年間、私が育ててきた人財は彼だけではありません。多様な個性を持った多くの仲間を育ててきたと思っております。
未来をつくるためには、イノベーションが不可欠です。私は、イノベーションは、多様な個性が、同じ目的に向かったときに生まれると思っております。
佐藤新社長は、私自身の役割の中で言えば、トヨタの社長というよりは、「マスタードライバー」「モリゾウ」にせまり、トヨタ、レクサスの味をきわめたい。もっといいクルマをつくりたい。マスタードライバーの笑顔、モリゾウの笑顔を得たい。その一心でやってきたと思います。
私自身は、どこまでいっても「クルマ屋」です。クルマ屋だからこそ、トヨタの変革を進めることができたと思います。
しかし、「クルマ屋を超えられない」。それが私の限界でもあると思います。
佐藤新社長を軸とする新チームのミッションは、トヨタをモビリティ・カンパニーにフルモデルチェンジすることです。
佐藤も私と同じ「クルマ屋」だと思います。彼は、私が社長を引き受けたときと同じ年齢になりました。彼には若さがあります。そして、仲間がいます。私には、できないことでも、新チームなら、できると思います。
次世代がつくる未来。私は、それにかけてみたい。これからのトヨタにご期待ください。ありがとうございました。

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