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子育てママじゃなくたって、しんどいと言っていいし、何かのせいにしてもいい


先日初めて、自分のツイートがひっきりなしにリツイートされるという体験をした。

こういうのは、毎日のように見かける、ありふれた現象だと思っていた。誰でも思いつくような言葉が、たまたま誰かの目に留まり、偶然拡散される。

しかし、いざ自分のツイートにたくさんのコメントが寄せられると、見知らぬ人たちの抱えている葛藤や自意識の存在が目の前にどっと押し寄せてきたようで、圧倒されてしまった。ああ、愚痴の掃き溜めと化すTwitterにさえ自らの言葉では書き込めない感情が、あちこちの個人の中に蓄積されているんだなと思い知らされ、勝手に途方に暮れた。


私のツイートは、端的に言えば、「このコロナ禍において、一人暮らしで精神的に限界を迎えている人たちがいるらしい」という内容だった。


そんな私には、夫と2歳の息子がいる。緊急事態宣言の間、24時間育児をしながら仕事をするのは、それはもう大変だった。何度も精神的に追い詰められたし、自分のキャパシティの狭さにげっそりした。

ただ、コロナ禍で家族がいてよかったと思うこともたくさんある。特に、この7月に入って、人と気軽に会えない状態が緊急事態ではなく、いつ終わるのか分からない日常になるのかもしれないと気づいたとき、ショックが少なかったのは家族と平和に暮らしているからだと思う。

だから、複数の知人が、一人暮らしがもうしんどいとこぼしたとき、ああそうだよな、自分が一人暮らしでもしんどかっただろうなと素直に感じた。


どっちがより苦しいという話ではなく、人には人のしんどさがある。ただ、その割に、よく取り上げられる苦しみは、誰かと一緒に暮らしている人のものが多いような気がする。コロナ禍にかかわらず。


そして、私もまた、結婚をして子供を産むまでは、あまり「しんどい」という感情を口に出してこなかった。親しい人に愚痴をこぼすことはあっても、そこには常に「愚痴を言ってしまっている」という罪悪感が伴っていたように思う。

一人で暮らす私が「しんどい」と言うわけにはいかない。あの気持ちは、一体なんだったんだろうか。



一人暮らしをしていた20代の頃、基本的には、毎日がすこぶる快適だった。

誰にも邪魔をされない空間で、自分の好きな時間に起きて、好きなことをして、好きなものを食べて、いくらでも夜更かしをして。洗濯だって掃除だって、自分のタイミングで自分の分だけこなすのは全然苦痛ではなく、むしろ「誰かにやってもらっている」という感覚がなくなって気が楽だった。親戚のおばちゃんには、「一人暮らしをしたら親のありがたみがわかるよ」なんて言われたけど、こっちからしたら、誰にも頼らずに生きるのってこんなに楽ちんなんだ!!という感動でいっぱいだった。


その一方で、気持ちが沈む日もあった。仕事の帰り道、自分の業務ミスに気がついた日なんかは、ああ明日どうやってお客さんに謝ろうかと思いながら食事をし、上司になんて打ち明けようかとシャワーの中で叫び、そのことが頭から離れないまま布団に潜った。そこで夫がどうでもいいコンビニの新商品の話をしてきたり、息子がリビングでおしっこをしたりして、自分の憂鬱を邪魔してくれることはなかった。

他にも、体調が悪く起き上がることすらしんどいとき、いまここで自分が苦しんでいることを誰も知らないという事実に、暗澹たる気持ちになった。別に、誰かに看病してほしいわけじゃない。ひとりで気兼ねなく布団に潜っていられるほうが好きだ。でも、自分の苦しみが自分ひとりで完結している孤独感に苛まれたのも、また事実だった。


こうして思い返すと、私の場合、日常が滞りなく進んでいるとき、一人暮らしは最高だったけれど、思わぬストレスがかかったときは、心の奥にチクチクと針を刺されるような痛みがあったようだ。

でも、それは当然のことで、わざわざ口に出すべきではないと思っていた。一人だから誰にも苛立たなくて済むことと、一人だから自分の苦しみを誰のせいにもできないことは、表裏一体で抱えていくしかない。

そして、メリットを享受しているんだから、デメリットについて文句を言うべきではないんだと。たくさん眠って、美味しいものを食べて、自分で自分のご機嫌を取りながらやっていこう、と。 


さらに、もうひとつ。私はめちゃくちゃプライドが高くて、本当は結婚したかったのに、その気持ちをなかなか認められずにいたので、自ら「一人暮らしはつらい」と口にするのは、どうも負けを認めるようで、できなかったのである。これは私だけかもしれないけど。自分の精神を保つためにも、意地でも認めるわけにはいかなかった。


そのあと私は、今の夫と結婚して、子供を産んだ。やはり人と暮らすと、気持ちが苛立つ機会は増える。息子がかわいくて仕方なくて愛おしくて、このふたりと家族になれて本当によかったと思うのに、しんどいときはしんどい。自ら望んで家族を持ち、メリットを山ほど享受しているのに、デメリットであるしんどさを、SNSに愚痴として垂れ流してしまう。

そして、しんどいという言葉を口にするたびに、「でも、一人のときもしんどかったよな」と思うのである。習慣として。毎回思う。


そう、別に、一人のときよりも、育児中のほうがしんどいから、愚痴を言うようになったのではない。息子は、自分とは違う人間で、大人からすると信じがたい行動を起こすので、突然ショックを受ける瞬間がたくさんある。そして愚痴を言ったからといって、「じゃあ産まなきゃ良かったね、あなたの選択が間違いだったね」とは、めったに言われない。

しかし、一人暮らしのときは、誰かが目の前で暴れる訳ではないので、しんどさがわかりづらかった。しかも、寂しいとでも口にしようものなら、「結婚すればいいじゃん」という、はらわた煮えくりかえる台詞を口にされる危険性も高いのである。

いやいや、どんな暮らしを選んだって、寂しいこともあるでしょうよ。理不尽でしんどいことだってありますよ。そりゃ同じ敷地内で誰かと暮らしてはいないけどさ、それでもどうにもならない社会に振り回されながら生きてるのよ。それなのになぜ、一度しんどいと言っただけで、一人で暮らしていること自体を否定されなきゃいけないわけ?なに?自分で選んだ道だけどしんどいって、そんなに悪いですか?何もしんどくないベストな選択肢なんてあると思います?ふーん、ていうか結婚すればいいじゃんってなんだよ!!!!


というわけで、もしコロナ禍の変化によって、一人でいるのがしんどいと思ったなら、それは自分のせいだと思わなくていい。ウイルスや社会のせいにすればいい。と、私は思う。

それでもし、誰かに「一人がつらいなら結婚すれば」とか言われたら、心のシャッターをしっかりと下ろそう。あなたは、自分の人生をどうやって生きていこうか、きっともう何千時間も考えてきて、そこに結婚というワードを思い浮かべたこともあると思う。

そんなこと、ほんの少し考えればすぐわかるのに、そこで「結婚すれば」という台詞を、ナイスアイデアであるかのように言ってくる人とは、シャッター越しに付き合うしかない。


あるいは、ポジティブモンスターから、「他人や社会のせいにしていたら、いつまでも幸せは手に入らない!」と叫ばれてしまうかもしれない。そうやって多くの人は、今の苦しみを「自分の弱さのせい」にして、「自分がどうにかすれば乗り切れるんだ」と思い込もうとする。私も、そうやって頑張るときがある。

でも、それは、自分がそうしたいときにすればいい。他人から課されるものではない。今はもう頑張れないよ、しんどいよ、というのは怠慢なんかじゃない。その苦しみは事実であって、たとえ周りに一人暮らしの自粛生活は楽しいなぁと言っている人がいても、それはあなたとは別の人間の話なので。


ああ、自分は、意外と趣味の集まりに支えられていたんだなとか、会社で好きでもない誰かと会うことで安定を保っていたんだなとか。あと、いまの一人暮らしは楽しいけど、新しい誰かと出会える機会がなくなって先が見えないのは不安だな、とか。これを機に、そういう自分の思いを、少し言葉にしてみてもいいじゃないか、と思う。



はー。しかし、こんな当たり前のことですら、私は結婚して子供を産んで、やっと口にできるようになったのだ。当時の私にそんなことを言ったら、なんて返事が返ってくるんだろう。

「うるさいなあ、子育ての愚痴を平気で言えるあなたに何がわかる」って思われるだろうな。「口に出したらますますしんどくなるだけだよ」って。


そうだよね。知ってるよ。それでも、こういうことを書かずにはいられない。そんな今日この頃です。






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今回のツイートで、見知らぬ方から「私は違います」というリプライされるの、予想以上に衝撃でした。わざわざ、知らない人のつぶやきに対して、自分は該当しませんと言わずにはいられない心境やいかに。耐えきれずに、つい言い訳ツイートをしてしまいましたよ。未熟者です。



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