鬱と薬と猫

前回のあらすじ。

色々と禅問答みたいのを繰り返していた元恋人は、「たすけて」の一言を残して自殺を試みた。あまりのショックに耐えきれず、一切の連絡を絶つことを選んだ私。

あらすじ濃いな。
大学を卒業して働いた会社で、だましだましやっていた身体が限界を越える。
仕事に行けなくなる。
朝起きて意識があることを呪うような感じ。自分でありたくない。

周りの勧めもあって受診した精神科にて抗不安剤と安定剤を処方されるも、抗不安剤を飲むと吐き気が続き、安定剤を飲むと意識が保てず起きていられなくなる。
後で分かるけど結構強いお薬だったらしい。

安定剤の抗えない眠気に抗おうと、「起きなくては」と自らを奮い立たせ、寝ないようにするために出かけたりした。
否応なく意識は朦朧としていくので、時折カフェで休む。というか眠ってしまう。スタバで1時間ぐらい眠ったこともあった。
今冷静に思えば、安定剤飲んで出かけるんじゃないよ!と思うけど、その時は「この薬で治して、普通に働けるようになるんだ」と思っていたから、飲んで眠ってちゃ意味ないと思ってたんだよね。

調子をみて仕事に復帰したりもしたが、調子が良いと言ったって従来の過剰適応をフル回転させているだけのことで、神経はすり減るばかりだ。

うん。今ならそれが過剰適応だと分かるんだけど、当時は「そうしないと存在価値がない」という強迫観念と共にあったから、優秀であるにはどうしたらいいかを考えてそう見えるよう振る舞っていた。
仕事は評価されていたので、成功はしていたのかもしれないけど。

そうして無理矢理働いたり休んだりを繰り返していたが、やはり辞めることにした。

辞めたら母親が「帰っておいで」と言うので、そのまま一人暮らしする訳にもいかないかと思って帰郷した。

そこから2年ぐらい完全なる引きこもり。
「帰っておいで」と言った筈の母親は、ほどなく辟易したようで「病気なら病院行って治せよ!!」と怒鳴り、ただひとりひっそりと鬱と希死念慮と戦う。

意識があることが苦しくて、どうしたら意識が飛ぶのか、今日一日がどうしたら早く楽に終わるか考えて、夜が明ける頃には1日を無為にしてしまったことを悔やむ。

意味がないから早く死んでしまったほうがいい。
と思うのに、死ぬのも面倒くさい。
今すぐパチンと消えたい。
無かったことになっていい。

本当に首を吊ろうと思ったけど、その時に思い返すのは「たすけて」と残して死のうとした彼女のことだ。
残される者の気持ちが分かってしまったから、死ぬことも許されなくなってしまった。その時はそう思っていた。

ある夜、こんな風に生きたい訳ないのに、なんで幸せに生きれないんだろう、なんで苦しみばかり感じるんだろうと思って、号泣したことを覚えている。
泣いている私の横で、その時飼っていた猫だけが寄り添ってくれていた。

なんでこんなに幸せに生きれないんだろう。
幸せになれないんじゃなくて、幸せを感じる機能が壊れてる。
あの時も今も、その気持ちがずっとあって、だからどうにかしたくて、これを書いてるんだ。

つづく。



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