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私の中の母親を消さねばならないという話し
母親は子供を無条件に愛するというよりは、そう口にしながらも社会的に評価する親だった。母親にとっての理想の子供は、地頭が良くてセンスが良く、出しゃばらず黙っていても人の目を惹くような逸材。
だからめちゃくちゃスパルタ教育になるかというとそうではない。必死でそうなるなんてダサいからね、自然とそうであるほうがかっこいいし。
やるかどうかは自己責任、やらなくて困るのはあなただから、という名の放任主義を基本として、求めるのは「地頭の良いしっかりした子」だから「言われる前に何をしないといけないか考えなさい」となります。サンプルも無いままに。
実際の私はさして頭良くなかったんだよね。
だから考えるのは、どうしたら母親の機嫌が良いのか?うん、バカなりに考えるんだけど、何をしたら怒られるのかは分かるんだけどそれが何故かまで考える頭も心の余裕もなくて、結局「何もしない」が最適解になっていく。
時折、母親がクラスの目立ちたがりな子を見て「あんなのいやだわ〜」とぼやいたり、運動する私を見て「なんか動きがどんくさいのよね〜」と言うのを聞いて、「つまり目立ちたがりに見られることはしない」「運動は苦手なのでしないようにする」というデータにしてためていく。
ボケーとしていると「不機嫌な顔で立つのやめてくれない!?」と言われるからとりあえず笑顔っぽいのを張り付ける……などなど。
あ、公共の場で泣く、大きな声を出すなどに関してはスパルタだったかな。頬をつねられて「今すぐ帰るかどっちがいい?」と脅されていたからね。だから私は人が沢山増えれば増えるほど静かになる子供だった。それが子供会だったとしても。
まぁ、そんなだから自己肯定感なんて昔から全然無いんだけど、その前に私の中には私がない。
母親が好きそうな「ちょっと個性的で賢そうな私」は作ってみたけど、本当のところの私が居ない。
どうしたらいいのかなーって考えてるけど、骨の髄まで染みついた「母親」がいるから、私はこの人が生きてる間は私になれないのかも……
って思ったんだ。
そんなことしてたら私もおばあちゃんになっちゃうよね。
だから先に、私の中の母親を◯さないといけないんだろうなーって。
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