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8歳 島に移住した私の話3

続きです。

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島に住んでいても、私は相変わらず負けず嫌いな性格だった。

休み時間にみんなでけん玉をするのが流行ったときには、
少しでも長くけん玉を続けることが出来るように本気で取り組んだ。

授業で100マス計算があるときには同級生の誰よりも早く終わらせたし、
みんなで漢字検定を受けるときにも満点を取りに行った。

同級生は男の子しかいなかったけど、
マラソン大会でも男の子を差し置いて上位で完走したし、
とにかく努力を怠らなかった。


島に来て少しして、弟と一緒に柔道を習うことになった。

技術こそないものの勝気な性格だったので力づくで押し通し、
習い立てでもそこそこ対等に試合等をこなすことが出来ていた。

今思えば、身体を動かすのが楽しいと感じたのは
それが最初で最後だったかもしれない。


週に1度くらい、島太鼓を習う授業があった。

島太鼓は数パターンあり、島の人たちはみんな当然のように出来るので、
私も遅れを取らないよう全力で覚えてすぐに叩けるようになった。

月に1度くらい、島の人たちが集まって
みんなで順番に太鼓を叩きながら雑談をしたりして楽しむイベントがあり、
私たち家族も毎回そこに参加させてもらっていた。

常に誰かしらが太鼓を叩いていて、
自分も叩きたくなったらタイミングを見て参加することが出来る
その雰囲気がとても好きだったことを覚えている。

島の人たちもみんな優しくて、
お互いに声を掛け合いながらわいわい盛り上がっていた。


夏の終わり頃になると、島に台風が直撃することがあった。

周囲に遮蔽物も少ないため、台風による暴風雨は容赦なく襲ってきた。
飛ばされそうになりながらも必死で帰路に着いた。

台風や大雨があると、島への物資を届ける船が運航中止になる。
そのため、商店へ行っても何も買えないということもあった。

小学生の私にとっては特に気にすることではなかったけど、
商店で買い物して私たちに食事を作る母親からしたら
生活に苦労することも少なくなかったのではないかと思う。


ある日、私は母親の友達家族に教えて貰って釣りをすることになった。

群れが来ているときには餌をつけずに針を落とすだけで魚が釣れる。

私は教えて貰った通りに釣り竿を持って、投げて、を数回繰り返し、
1匹だけ、生まれて初めて魚を釣ることが出来た。

そしてそのまま魚を持ち帰り、
さばき方を教えて貰い、自分でさばいて刺身で食べた。

自分で釣って自分でさばいた新鮮な魚はとても美味しくて、
忘れられない思い出になった。

その時から私は、釣りに夢中になってしまった。


遠足ではおにぎりを持って同級生と山を登り、
釣りをして自分で釣った魚で昼食をとるのが楽しかった。

天気の良い休日などには民宿のおじさんに釣りを教えて貰い、
兄弟みんなで釣りを楽しんだ。

ある日、私の釣り竿にタコが引っ掛かった。

民宿のおじさんに手伝って貰って釣り上げたタコを、
おじさんはそのまま海岸の岩に何度も頭を打ち付けて気絶させた。

「そのまま食べられるよ。食べてごらん」

そう言われた私たち兄弟はまだ生きているそのタコの足にかじりついた。

海水でしょっぱく味付けされたタコの吸盤が口に張り付いてきて、
ちょっと食べづらかったけどとても美味しかったことを覚えている。

生きているタコをその場で食べたのは、その時が最初で最後だ。


島特有の色鮮やかな魚や岩にへばりついた貝など、
島でとれる生き物は全てが新鮮で美味しかった。

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あと少しだけ続きます。


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