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もうそんなことも忘れた。



 ”あなたを愛していた もうそんなことも忘れた 冗談交じりに運命を信じてた”

 aikoさんの『運命』という曲のワンフレーズ。失恋をポップに歌う彼女の曲には何度も救われた。

 中学生の頃、好きだったひとつ年下の彼が、好きだったアーティスト。「男でaiko好きなんて女々しいよね。」と、笑いながら初めて貸してもらった、『まとめⅠ・Ⅱ』のアルバムは曲順も完ぺきに覚えていた。

 中学卒業後に疎遠になった彼に、『泡のような愛だった』というアルバムが出たことをきっかけに連絡した。「aiko懐かしいね。おすすめの曲ひとつ教えて。それ、聴くから。」と返信が来て、この人はもうaikoは好きじゃないんだなと寂しくなったことを思い出す。どうしても一つに絞れなくて、いくつか送った曲の中から、『大切な人』という曲を聴いたようだった。「えまのことを思い出したよ。もう一緒にはいないけど、俺の人生を語る上で必要な人だから」なんて、10代半ばでキザなことを平気で言う人だった。都合のいいやつだなという感情と、嬉しいという感情が大きな渦を作った。
 人生を語るには早すぎるし、わたしの存在も時間を重ねていけば、どんどん薄まって、人生を語る上で必要なんて思わなくなって、名前も顔も忘れていくんだろうなと思った。

 しばらくして、彼はわたしの中学からの友人と付き合った。彼が、「なんか、あの子見てるとさ、えまのことを思い出すんだよね」と話すようになった頃、わたしの心はこれっぽっちも心が動かなくなっていた。



 わたしはいつも、人の気持ちはナマモノだと表現する。キラキラして見えるあなたへの思いも、いつか腐って、醜くなって、臭いもして、蓋をして見えないところに閉じ込めておきたくなる日が来るかもしれない。苦手だったあの子への気持ちも、気づいたときには苦手だったことすら覚えていないくらいに、小さくなっているかもしれない。気持ちは目に見えないから変化に気づきにくいのだけど、実際にその人やものを前にしたときに気づかされることはたくさんある。

 過ぎ去ていくいくつもの時間の中で、好きだったものたち、人たちへの気持ちが変わっていくことをとても寂しいと思う。そして、自分の気持ちが変わったことに気づく瞬間が一番寂しいと感じる。あんなに、大好きだったのに、あんなに大切だったのに、心がしんと静まり返って、ちっとも動かない。だけど、それをどうすることもできないし、どうにかしようとも思えない。
 自分ではどうすることもできない気持ち。キラキラしているきれいな物だけ集めて残しておこうと思えるほど、わたしの心は広くない。あなたとの思い出を、大切にしまっておいて、時々思い出してピカピカに磨きなおしてまたいつかねと、大切にすることなんてできないよ。だから、ここでお別れね。さようなら。



 環境が変わるたびに新しい出逢いと、別れをくりかえしてきたけれど、社会人になってからは、新しい出逢いの機会が減るのを肌で感じている。中学生から抜けだけずにいるネットの海の中での出逢いは無限で。でも、その付き合いも長くは続かないことが多い。そんな中でも、わたしを必要としてくれる人はいて、とてもありがたいことだと思う。

 これから先の人生は、忘れたくない思い出だけが増えていく人生がいい。どんなに願っても、いい思い出だけを増やすことなどできなくて、なによりも、人間は忘却の生き物だから、忘れていくことだってきっと多いんだろうな。忘れていく日々を大切にきょうも笑って息していたい。もうそんなことも忘れたと言える強さも忘れずに。


 きょうも、読んでくれてありがとうございます。またね。




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