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揺らぎは悪か~BUMPと私の色彩心理~


   【ロキノン系】と言って伝わる人はどのくらいいるのだろう。時は令和4年、もはや死語らしい。かくいう私はロキノン系だった。ロキノン系ってなんですかってすごく訊かれるのでなんかネタにもならないならもう書かなきゃいいんだが、私を表すのはやはりロキノン系だしサブカル系だと思うから、未だに消せずにいる。私のアイデンティティってやつだ。異論は認めない。

   そんなロキノン系を代表するバンドとしてバンプオブチキンを挙げたい。学生時代ものすごく好きだったってだけなので個人的な意見だ。異論は認める。知らない人のために言うとものすごく健康的な音楽を奏でる4人組です。

   彼らの曲はとにもかくにもボーカルギターの藤原さんという人が書く歌詞が何より評価されました。私が彼らに出逢ったのは中学2年の時で、天体観測という曲がロングセールスを記録していました。風貌や立ち居振る舞いとは異なる優しい歌詞に多くの若者は心打たれたわけです。勿論私も。
※今のファンの皆さまには信じ難いかもしれないが結構彼らは当時とんがってたのですよ

   そんな彼らの曲で、supernovaという曲があります。その歌の中でこういう一節があります。

鼻が詰まったりすると解るんだ
今まで呼吸をしていた事

この節のあとにご丁寧に

本当の大事さは居なくなってから知るんだ

とつけ加えてくれますが、言われなくても言いたいことはわかります。人は鼻がつまらないと呼吸を意識できないのです。私はこのバンプ鼻詰まり論をかれこれ15年以上反芻して生きています。

   さて本題なのですが、揺らぎとは悪か、を考えてみたいのです。

   今私は、パーソナルカラーアナリストとして、そしてセラピストとして、さまざまな色を愛しています。ですが未だに惹かれる色があります。紫です。紫が昔から好きな理由は、自分でもよくわかりません。

   色には意味があります。ポジティブな意味、ネガティブな意味。例えば紫は、「揺らぎ」の意味がありました。私はそれを知った時、これまで紫が好きだった私のライフスタイルには揺らぎがあったのか?などと安直な解釈で過去の記憶を遡りましたが、とくにネガティブなものは見つかりませんでした。むしろ幸せな人生を送ってきました。私の心がなにかを理由にずっと欲していた色のはずなのですが、それを振り返ってみてもわからないのです。ちなみに今もわかりません。ただひとつわかったことがあります。べつに揺らいでいいじゃない、ということです。

   先日、思い出の場所に行きました。よくコンサートがあるところの近くの港です。ものすごい思い出があります。学生の時に田舎からやっと取れたチケット握りしめてバスに乗って。友達と列に並んだな。ラーメン食べて帰ったな。学校ズル休みしたな、とか。そんな戻らないあの頃をフラッシュバックのように思い出しました。ものすごく揺らぎました。揺らいではじめて自覚できることがある。それは「今」という感覚です。

   私は揺らぎが悪いものだと思っていました。不安定であることは良くないことだと。でも一概にそうとも言えないのではないか、と思うのです。たしかに毎日何も無い方がいい。安心だからだ。でもそれだと人間は慣れてしまう。時に鼻が詰まるから呼吸ができてありがとうと思える。当たり前だと思っていた仲間がいなくなるときに仲間の大切さを思える。今まで関わりたくないと思っていたことが急に愛しくなる。尊いと思える。

   私はこの揺らぎがなんとも心地よかったことを思い出します。昔から私はエモーショナルです。センチメンタル過剰です。ドMかもしれない。私にとって紫は、揺らぎは、いつも大切なものを教えてくれる。揺らぎがないと私は私で居られなくなる。結論、感じてはいけない感情などないのだ。私は紫を愛しているよ。そして、私は私を愛している!





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