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ラブストーリーは突然に(アナリストは厄祓いのあと憧れの場所に行きました)


   19歳の時、犬に鼻を噛まれました。飼い犬です。室内で飼っていた彼といつものようにテレビを見ながら床で寝転んでいました。ふと目が合い、なんとなく見つめあったあと、顔に何かがぶつかる衝撃。その数秒遅れで感じた鼻に走る鈍い痛み、手についた赤い血…。大学一年の夏、私は鼻に大きなバンソーコーをつけて過ごしました。後にも先にも飼い犬に噛まれたのはあの1回だけです。何故噛まれたのか今でもわかりません。私にとって初めての「厄年」でした。


   厄年侮ることなかれ。つぎの厄年からは有名な厄祓いの神社に行くようになりました。お陰様で私にとっての本厄は何事もないまま3回目を終え後厄に入りますが、先日、そのお礼参りに例の神社に行った日の話です。


   厄祓いを終えた帰り道、私はそのまま電車に乗るつもりで信号待ちをしていました。向かい側の方にカフェを見つけたので、なんとなくそこに寄ることにしました。店に入り、ショーケースを見ていると、レジでお会計をしている女性がいました。それはなんと、先程まで私の隣でお祓いを受けていた人でした。レジが私の番になったとき、その人も気づいたようでした。(なんとなく気まずかったです)


   そもそもその厄祓い、40名近くが同じ場所でお祓いをしてもらうわけですが、一度も顔を合わせたことのない人たちが、同じ目的でそこに集ったこと。すごいなと思うのです。30分ごとに入れ替わるお祓いのグループで、なんの因果か昨日ではなく今日、そして同じ時間帯に集まったこと。おお君も本厄だったか、何事もなくて良かったなァと声こそかけはしませんが、お互い無事一年終えたね来年も頑張ろうねなどと心の中で呟いたりはしています。そこでLINE交換もしませんし終わればまた別々の場所に帰るわけですが、やはりこれも立派な一期一会です。


   何らかの偶然が重なってその女性と一緒になった事実があったということ。それこそ私からLINE交換しませんかと話しかけたならば何か起こったかもしれませんが、その勇気はなかったのでもう会うこともできないでしょう。でも話しかけたら実は面白いことがあったかも。人生には、ただの偶然だと見過ごしていることもたくさんあるに違いない。そして巡り会えた偶然は必然。


   ただの厄祓いでそんなふうに思えるようになったのは、日々好きなことに没頭できるようになってからです。今好きな物、人、そういえばハマったきっかけはなんだろうと遡った時、大概は何かの派生でした。例えば私は横尾忠則先生を心の師としていますが(勝手に)、横尾忠則さんに出会えたきっかけはアンディ・ウォーホルでした。アンディ・ウォーホルのきっかけとなったのはandymoriでした。そんなふうに、偶然の重なり、また好きな物の数珠繋ぎで今の私はできていると気づいたんです。好きな物、侮るなかれ。ときめきを大切にしていれば次なるときめきがやってくると今私は確信しているんです。


   私の店は本当にまだ知名度もなく、フォロワー様におかれましてもなんでフォローいただいたのか片っ端からきいてまわりたいくらい経緯が謎です。でもそこにはおそらく、なんらかの偶然が重なったうえで実現した今があるんだと思います。あの日あの時私がこうしなければ、出会えなかった人が沢山います。1年前は名前も顔も知らなかった人が今連絡をくれたりします。そこには振り返ってみてもノウハウなど無いし、「私が日々心の動くままにやってきた何か」しかありません。あの日あの時あの場所で君に会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のままなのです。小田和正は真理をついています。最後に、先日訪問した横尾忠則現代美術館が本当に素晴らしかったことを記しておきます。


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