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日記:2024年3月12日 雨のち曇り

・コミュニケーション失敗。相手になにかしてもらった時はまず何を差し置いても感謝を述べましょう。たとえそれが自分の頼んだ事でなくとも、良かれと思って相手がしてくれた事には……。

・お世話になっていたスタッフの方々の異動が決まって朝から愕然とする。すっかり忘れていたが、年度末とはそういうものであった。しかもうち一名は過去の日記で俺の触れられたくない本質を暴いたその人である。忙しくしているのか有給消化なのかは定かでないが、近ごろは一向に姿が見えないため、ついぞその真意は質せぬままに終わりそうだ。しかし先日の相談もいまや去りゆく人を後任に見据えての話だったというのに、甚だ惜しまれてならない。どうしたものだろう。

・不意に「機動戦士Zガンダム」の特定の話数を見返したくなる瞬間がある。サブスクっていいね。見直したのは第48話「ロザミアの中で」。個人的にガンダムシリーズを通してもっとも印象に残った名エピソードの一つだ。TV版の「Zガンダム」は終盤にかけて主人公であるカミーユ・ビダンの精神が摩耗していく様が克明に描かれているが、この回は極めつけで、自らを兄と慕う少女ロザミィに終始、戦争の中で死に別れた恋人フォウの面影を重ねながらも最後にはその手で撃ち落とさざるを得なくなる……といった陰惨な内容だ。

・「ロザミィ」ことロザミア・バダムはニュータイプの持つ特殊な能力を非人道的な実験によって後天的に再現された「強化人間」だ。優れた感応力によってモビルスーツ戦闘ではエースパイロットと同様の性能を発揮するが、代償として精神が極めて不安定なのが特徴である。カミーユと死別した恋人フォウ・ムラサメもまた、そんな強化人間のひとりであった。

ロザミア・バダム(ロザミィ)

・ロザミアにはカミーユたちの母艦「アーガマ」に潜入した折、ほんのひと時、しかも植え付けられた偽りの記憶のもとであるが、彼の事を「兄」と慕って交友を育んだ経緯があった。しかし再登場となった今回では人格の崩壊がいっそう進み、カミーユとは別の人間を「兄」だと思い込まされた上で、戦争が生み出した狂気の具現たる「サイコガンダムMk-2」のパイロットとして彼らの前に立ちはだかった。(なおややこしいが、前回のサブタイトル「さよならロザミィ」に対して退場回が「ロザミアの中で」である)

・余談だがカミーユのガールフレンドで、ロザミアとも面識のあるファ・ユイリィが、彼女の姿を認めて「私、ファよ! わからないの?」と問い質すのに対して「なんで、お前がファなのだ?」はあまりにも味がある返しだと思う。端的に過ぎるのが富野節たる所以であるが、ロザミアの現状を示すのにこれ以上のセリフ選びは無い。

・戦いの中でロザミアに気付いたカミーユは必死に呼びかけるも、記憶を操作された彼女にはもはや通じることはなかった。我を失い、何処にも存在しない「兄」を求めて彷徨うロザミィの内に、助けを求めるフォウの姿が重なってカミーユを惑わせる。この時、既に彼自身の精神も疲弊の限りを尽くして変質を遂げつつあった。「誰でもいい!止めてくれ!」と叫ぶ声も虚しく、アーガマへと迫るサイコガンダム。もはやマシーンに囚われたロザミアの、そしてフォウの魂を解き放つには撃墜するしか手立てはない。「可哀想だが、直撃させる!」と震える声でコンソールに手をかけるカミーユ。その一連の描写と演じる飛田展男氏の芝居には鬼気迫るものがあり、死者の念に突き動かされた者の慟哭をつぶさに描いていて、いつ見ても胸が詰まる思いがする。

・周りからニュータイプだと持て囃されても、結局フォウもロザミィも救うことが出来なかったカミーユの無力感は頂点に達した。その結果に憤るのでも悲しむのでもなく、ただ「出来ることと言ったら人殺しだけみたいだな」と笑顔で自嘲する様は、すぐ後に控える彼自身の末路を予期させるに足るほど恐ろしく、そして虚しい場面だ。この時シャアはシャアで、そんな若者を慮って「あまり気にするな」とフォローを入れるのだが、自らも迷いの只中にある彼の言葉など取るに足りないものでしかなく、結局、口にした当人も含めて誰の心も救うことはなかった。

「気にしてたらニュータイプなんてやってられないでしょ?」
「……」

・このように全編を通じて、ひたすら情けないばかりでどうしようもないクワトロ時代のシャアだが、俺はむしろそうした一面に「赤い彗星」という偶像ではない、等身大のシャア・アズナブルという人間が在るようで気に入っている。勿論、こんな男が自分の近くには居てほしくないけれど。

・ちなみに劇場化にあたって本エピソードは丸々カットされている。ロザミアの死そのものが戦局や作品の進行に大きく影響することはなく、そもそも劇場版はTV版とは作品の行き着く精神性がまったくと言っていいほど異なるためだ。それでもこの話が印象に残っているのは、「機動戦士Zガンダム」という作品が当初描こうとしていた本質の一端が垣間見えるから……なのかもしれない。まぁ実際には見返しても、あとに残るのは悲劇的だとか陰鬱といった言葉ですら妥当でないような、酷く虚ろな気分だけなのだが。

・Zのサントラ大好きです。アニメ・サントラは生音であれ。


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