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中国とソ連の対立

かつての冷戦といえば、たいていの人はアメリカとソ連の対立を思い浮かべると思いますが、その陰で同じ社会主義国同士の中国とソ連が対立し、最終的には武力衝突にまで至っているのですが、皆様はそのことを御存知でしょうか?

同じ政治思想でも、文化や社会、経済構造等が異なる大国同士(領土を接する大国同士)というのは、当初は友好の道を歩んでいても、いずれは対立せざるえないものなのでしょうか。


■ スターリン時代の中ソ対立 
スターリンは中国を属国扱いし、社会主義国が社会主義国を収奪するという関係。朝鮮戦争では北朝鮮への支援に中国を前面に立て、自らはその背後に隠れてアメリカの矛先をかわす狡猾さが目につく。


■ フルシチョフ時代の中ソ対立
師匠的な存在であったスターリンが没し、毛沢東はソ連に対して物申すスタイルとなる。特にフルシチョフがスターリン批判をしたときには、自らの個人独裁までが否定される事態を恐れて、ソ連を非難する。また、キューバ危機におけるフルシチョフの妥協外交や平和共存路線も毛の思想とは相いれないものであった。ソ連は中国に対する支援を見直すことになる。


■ ブレジネフ時代の中ソ対立
ソ連は制限主権論(ブレジネフドクトリン)の考えからチェコスロバキアの自由化運動を弾圧。中国は自国が第二のチェコスロバキアになることを恐れ、ソ連との関係が緊張を伴ったものとなる。ソ連と中国が実際の武力衝突に至ったのはこの時代である。


〇 映画や書籍で考える歴史と時事


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