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あなたに時代と寝てほしい

最近、すっかりロッキーシリーズにはまってしまったのだけれど、変に印象的だったのがロッキー4だった。東西冷戦が大きなテーマになっていて、今みるとちょっと笑ってしまうのだけれど、でも当時は真剣だったのだろうと思う。

過去の映画を見ていくと、「当時」のことを歴史を思い起こしながら見ないといけないことも多い。

一方で、現実の歴史をそんなには思い起こさなくていい、普遍性の高い物語もある。

最近の映画だと、ブラックパンサーとアクアマンがとてもよく似ていて、でも違っていて面白かった。

どちらもアメコミ原作の王位継承譚・ヒーロー誕生物語であり、同じ王位継承者との決闘、敗北……といった流れなどいくつかのプロットが共通する。

違う点として目につくのは、ブラックパンサーが明らかに現在のアメリカを批評しているのに対し、アクアマンは海と地上をひとつに、というのみで具体的な国は想定していないように見える点だ。(わたしの知識不足で伝わってないだけだったらすみません……)

ブラックパンサーでは、壁を作ろうとしているトランプ大統領に対する直接的な言及さえある。
一方で、アクアマンでは海を汚し生物を殺す地上の人間への批判はあるが、ステレオタイプなものにとどまる。なぜ地上と海とが戦うのか、なぜひとつになる必要があるのか、いまいち見えてこない。

もちろん、政治的言及があるから価値が高いわけではない。アクアマンの方が気軽かつ普遍的で、誰でも楽しめる映画とも言える。

でも少なくとも、ブラックパンサーは「なぜ2018年の今、この物語を語るべきなのか」が明確にわかる映画だった。

「今」に刺さる映画であることは一方で、普遍性を損ねてしまいうる。
トランプ大統領の言葉など30年後の人はピンとこないかもしれない。それは、長いスパンで考えれば作品としてマイナスかもしれない。時代のあだ花だったと、将来的には笑われる可能性さえある。
でも私は、そうした映画に強く惹かれる。

作り手が、今この現実をどのように捉えて、何を問題だと思い、苦しみ、どう変えていきたいのかが、見えてくるような物語。
思えば、2016年に衝撃を受け、4回劇場に見に行ったシン・ゴジラもまさにそういう映画だった。

そこで描かれてる意見や危機意識は、もしかしたら30年後の観客には笑われるかもしれない。どちらかといえば時代に寄り添った作品は「時代のあだ花」のように片付けられがちだ。時代と寝る、という形容には浮ついた下品な印象さえつきまとう。

だけど、今を生きる個人には、そういう近視眼的に過ぎないかもしれない「今」を積み重ねることしかできないのだと思う。
私たちは、今を「歴史」として事後的に振り返ることなどできない。

歴史は構成の対象であって、その場は、均質で空虚な時間ではなく、いまという時に充塡された時間が形成する。(ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」)

私たちの今は、たぶんそのほとんどが「歴史」になることなく消える。
だからこそ、あなたがこの「今」という時代と交わって、そして生まれる物語を私は読みたい。

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