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改めて文章の書き方を学ぶことにする(14日目)

noteの毎日投稿を初めて今日で14日目。2週間が経過しました。日記は原則三日坊主の私が、HSS型HSP気質とうまく折り合いをつけて、今日まで継続できているのはとても嬉しいし自信になっています。noteを書き上げるまでは晩酌もやめるほど、noteの更新が楽しくなっています。ただ、昨日はネタも時間も尽き、事実上のギブアップしたわけで、課題が出てきていることは認めざるをえないです。なので課題検討の末、恥ずかしながら改めて文章の書き方を学んでみることにしました。

課題

困っていること
・noteを書くのに時間がかかっている(2、3時間以上かかることもある)
・書くことへの苦手意識が払しょくできない
・表現力不足によって言いたいことをうまく伝えることができない
・内容に説得力、流れがないことがある
・文章がかたい
・完全でなくてはならないと思っている
・あたりまえすぎて、面白みに欠ける

noteを書くのに時間がかかっている原因は、言いたいことが書いている最中に変わってきてしまうため。それから、通し読みすると言いたいことを正確に伝えられる文章になっていなかったり、話の流れがつながっていないため、書き直しを何度もしてしまうからです。そして、やっと書き上げたnoteが、自分で読んでも当然すぎて面白く感じられないときもありますが、それは自分の美学が許さないけれど、泣く泣く「投稿」ボタンを押すのです。

課題
・書く前に論点整理する
・独自性が高い観点を意識的に取り入れる
・文章をわかりやすい論理的な構成にする
・ある程度の量稽古も必要でもある

と今回も、当然すぎる結論。。。だけれど、できていないは事実だから、学び、出来るようになればいいのだ。

参考にするのは

「ふくしま式200字メソッドで「書く力」は驚くほど伸びる!」にしました。

理由はシンプルだからです。シンプルにこだわったのは、会社員だった頃にも文書術に関する書籍を読んでいたのですが、結局身に付いてはいなかったわけです。意識的な練習なくしては、単に宝の持ち腐れになってしまいます。ですから、noteを通じてふくしま式の3文で構成される200字の型を全集中して練習します。

それから、この「型」と「芸術」について筆者はこう述べています。

(型によって)自由を与えすぎないこと。むしろ、自由を奪うこと。これが、結果的には、書き手に自由を与えることになるのです。

洗練された料理、音楽、建築物には、そこに型の存在を感じさせません。むしろ型破りにすら思えます。(中略)しかし、それは、基本の型を無意識に使いこなせるようになった料理人、作曲家、建築家が創造したからこその結果です。そのようなハイレベルな領域に達したものを「芸術」と呼ぶわけです。

「芸術」は真似できません。しかし、「技術」は真似できます。

これはいわゆる守破離の考え方だと思います。私自身、この「守」の段階での量稽古に意欲的に取り組めたことは、結果的に上手になれた実感があります。ですから、この原則を大切にされている筆者の方法論を実践したいと思いました。

また、文章にはいろいろな側面があると思います。単に論理的に情報を伝えるものから、物語まで。特に私は、作者の感情が昇華し芸術性を内包した文章に触れることに喜びを感じます。ですから、論理的であることを是としながら、芸術への道筋にふれた本書の作者に共感しました。

今後、本書を学びながら、自身のnoteがわかりやすく良質な内容、また感情性豊かな作品を残していけるよう精進していきます。

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