見出し画像

結婚と、アイデンティティの消失【#選択的夫婦別姓】

私は誰にでも「えるもです」と自己紹介をする。

先日こんなやり取りがあった。

「なんで『えるも』って自己紹介するん?」
「えーと……私、旧姓が『石橋』で新姓が『小宮山』だから、どっちで名乗ればいいかわからないし、めんどくさくて(笑)」
「それは当たり前に『小宮山』やろ!」

なんだか、もやっとした。

新しい姓(=夫の姓)を名乗ることは当たり前なのだろうか。

24年間生きてきた「石橋もえ」は、もうわたしではないのだろうか。

書類上、存在しないわたし

結婚に伴って住民票もパスポートも、運転免許証も書き換えた。「石橋」の戸籍からもわたしの名前は消えてしまった。

24年間生きてきた「石橋もえ」は、もう書類上存在していない。

もちろん、夫の姓は嫌いじゃない。でも、わたしは、わたしのことを「石橋もえ」だと思っている。

実は結婚して1年以上経つのだが、銀行や職場で「小宮山さん」と呼ばれても、なんだか自分のことだとは未だに思えない。

「そのうち慣れるよ」と言われることもあるけど、本当に慣れるのだろうか。慣れていいのだろうか。

別姓も、アイデンティティも選択したい

選択的夫婦別姓とは、つまるところアイデンティティの選択だと思う。

今まで名前とともに生きてきた「わたし」を、続けるかどうか。別姓を選択できれば、今までの「わたし」も選択できる。

制度として、旧姓併記や旧姓を通称とすることもできる。でも、あくまで「併記」だ。

免許証には「小宮山 [石橋] もえ」と、旧姓はあくまでサブとして記載される(それでも今はありがたいので、旧姓併記はする予定)。

通称はなおさら、身分証と名前が一致しなかったり、書類と異なる名前を使ったりすることで、手続きができないなんてこともある。

別姓にしたいなら事実婚をすればいい、という意見もあるが、現代の日本では法律婚のほうが享受できるメリットが大きい。つまり、法律婚をする夫婦のどちらかは、今まで生きてきた姓が書類から消えてしまうのだ。

それを「慣れ」とか「当たり前」とか、そんな言葉で押さえ込むのはもう時代遅れなんじゃないか。

***

大げさに書いた気もするけど、「名前(≒アイデンティティ)」を変えるのは当たり前だ、と言われたことに違和感を覚えたことを伝えたかった。

わたしのように、旧姓での自分が好きな人もいる。だから、安易に「新姓を名乗るのは当たり前」を押し付けないでほしい。

結婚して新しい姓を名乗ることにもやもやしている方。同じように悩んでるわたしがいるし、早く選択的夫婦別姓ができるようになったらいいね。

そんなメッセージを込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?