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アートがわたしに与えてくれるモノ

近年よく見かける「アート思考」という言葉。
いったいアート思考とは何のことで、そもそもアートとは何なのでしょうか?

アートと言ってまっさきに思い浮かぶのが美術館。
わたしも美術館に行ったことがありますが、絵の前でさっと立ち止まって説明文を読んでから絵を一瞬眺めるくらいしかしませんでした。

そもそも「絵を鑑賞する」ということ自体、学校の美術の時間に学んだかさえも覚えていません。
覚えているのは最初の授業で自画像や自分の手のデッサンをして、自分には絵心がないと落胆したことだけ。

アートとはセンスのある一部の人やそれを観るのが好きな人だけに関係のあるものと思っていました。
しかし、この本を読んでアートに対する考えががらっと変わりました。

この本を読んで学んだこと。それは、

「アートとは、観る人がいてはじめて完成するものであり、それは観る人唯一のものになる」

ということです。それはいったいなんなのか、その理由を今日はお話ししようと思います。

①なぜわたしはアートがおもしろくないのか

美術館に行って作品の前に立つと見えるのが説明文。作品を見たら、その説明を一緒に読むのではないでしょうか。しかし、それを見てもあまりピンとこない。

「ふーん、これがその作品か」と思って次の作品に進む。

これは、どこかで有名な作品を見たときもさほど大差はないというのがわたしの経験です。

ゴッホのひまわりが目の前にあっても、これがあのひまわりかと思うだけで、特別な感動や高揚感というものはありませんでした。
なぜそうだったのかということはこの本を読んで少しわかりました。

それはわたし自身が作品をただ見ていただけで、「観る」ということはしていなかったからでした。

この本ではどうやったら作品を観ることができるのかについて、そのプロセスについて体験しながら学ぶことができます。
そして作品を観るときに大事なのは「わたしの感性・観点」とのこと。

この本の冒頭では、モネの「睡蓮」という作品をみた4歳の子の話が出てきます。
そこに描かれてはいませんが、その子は睡蓮をみて、その絵の中にカエルがいると言ったそうです。
睡蓮の下、水の中にいるんだと。

「え、描いてないんだからそれは違うんじゃないのか」
と一瞬思ったのですが、このような想像力をはたらかせて自分がその絵に何を観るのか、感じるのかが作品を観る上で重要だということでした。

作品を観るということは何か教科書にある説明を読んで、この作品はこういうものだと理解するのではありません。
それを鑑賞するわたしがどう感じるのか、何が見えるのかということが大事で、今までわたしはそのように作品を観たことはありませんでした。
ただ目の前にあるものをウィンドウショッピングのように眺めていたようでした。

「自分がみたいようにみて、そこで感じたものが答えなんだ」
とわかったときに、今まで退屈だった美術館に行くのが楽しみになりました。

②アートの醍醐味

このような観点で作品を観ると見えてくるものが変わるのではないでしょうか。

アートにこれだという間違いない正解はありません。
なぜならそれを観るわたしによって、答えが違うからです。
わたしなりの視点を持って、わたしなりの答えを持つということが作品を観るということ。

その考え方がまさにアート思考であり、そのような観点でこの世の中にある様々な物事を見つめ、自分なりの問いや答えを導き出していくことが、今の時代にいるわたしたちに必要な生き方なんだということが著者の強いメッセージのように感じました。

だからこそアートというのはその作者が込めた思いだけを丸ばつクイズのように当てるのではなくて、わたしなりの答えを大切にしていけばいい。

まさしく作者が作品を通して出してきた問いにわたしが答えるという、その対話のプロセスがアートの醍醐味なのではないでしょうか。

それを観る人がいなければ、その問いに答える人がいなければ、その作品は誰にも認識されません。そう考えるとアートは作品を作るというだけで満足されるものではなく、観る人がいてこそ、それが本当の作品として完成するのではないかと思いました。

作品を観て、わたしなりの答えを出すのであるから、そこで完成された作品はわたし唯一のものと言っても過言ではないかもしれません。
そのように作品一つ一つを観て、わたしなりの答えを持って、わたしの作品としてそれを味わうことができたならば、それは日常における特別な楽しみになるのではないでしょうか。

美術館に行くときだけでなく、ぜひ日常の中でそんな楽しみを少しずつ味わってみたいものです。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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