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虫好き男子に萌える

虫が苦手だ。まず、あの奇妙なフォルムが
受け付けない。どこを見ているか分からない
眼も怖い。向こうからしたら、人間の方が
よっぽど奇妙なのだろうけど。


触っても大丈夫と言えるのは、蚊ぐらいなものだ。
部屋の中で小さなアリを一匹見つけただけでも
「どこかにウジャウジャ潜んでいるんじゃ
ないか?」と落ち着かない。
洗濯物を取り込む時は、くっ付いた虫が室内に
侵入しないように、思い切りはたいてからにする。


コンクリートジャングルで育った私にとって
虫のいない家が当たり前だったからだ。それでも
小学校低学年くらいまでは触っていたように思う。
ダンゴムシとかバッタとかチョウチョとか。
どうして触れなくなってしまったのだろう。


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ある日、私の作文教室に一人の男の子が入会してきた。
小学5年生だ。あるスポーツで全国大会入賞を
果たすほどの実力を持ち、とても礼儀正しい子だ。


聞けば、自宅で外国産のカブトムシを飼って
いるという。「虫、好きなの?」恐る恐る尋ねる
私に、彼は爽やかな笑顔で「はい!好きですよ」
と答える。虫好きな子って、なんだか子ども
らしくていいなと思う。その好奇心が
いつまでも新鮮なまま保たれますようにと願う。


ちなみに、うちの子ども達は虫が大の苦手。
小さな蛾を見つけただけで大騒ぎする。
ゴキが出ようものなら…言わずもがなである。


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その日は、いつも利用している公民館の
会議室スペースが使えず、和室を使用してほしい
と言われていた。ここのところずっと使われて
いなかった和室に入ると、畳の香りと埃っぽい
におい。マスク越しに吸い込んで、思わず咳込む。


換気しようと窓に近づいた瞬間、ふと足元が
気になった。視線を落とすと、そこには手のひら
ほどの大きさの茶色いクモが!!!


「ひぃーーー!」と叫ぶと同時に、秒速で
飛び退いた(私は生まれてこの方、キャーと叫んだ
ことがない)。怖くてもう換気どころではない。


オロオロしていると、例の男の子がやって来た。
「外に出しましょうか?」スマートに声をかける
君は、なんて紳士なんだ!


「お、お願いします」ビビるおばちゃん先生を
横目に、彼はそっとクモを手のひらにのせた。
そして、もう片方の手でそろりと窓を開け
ゆっくりとクモを外に放つ。クモの行方を
見届けると、静かに窓を閉じた。


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流れるような所作に、私はすっかり見惚れて
しまった。そこには、生き物へのリスペクトが
あったから。
命を愛おしむ様子が、とても
眩しかった。


それに引きかえ、私ときたら。


なんの悪意もない、自分よりもうんとうんと
ちっちゃな生き物に怯え、敵意を抱くことしか
出来なかった。いい大人が騒いでしまったのが
ひたすらに恥ずかしい。めったに使わない
「みっともない」って言葉は、こういう時の
ためにあるのか…。


まれに退治することはあっても、捕まえて
逃がすという行為が、私にはどうしても出来ない。
握った手の中の、ちょっとくすぐったいような
感触。逃げ出そうと全力でもがく姿が脳内再生
されて、全身が鳥肌になってしまう。


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実は、まだ大学生だった頃、虫の断末魔の苦しみを
疑似体験したことがある。


小さな漁村に建つ民宿で、夏休みの間、友人と
泊まり込みのアルバイトをしていた。自販機も
ないような田舎だから、虫がいっぱいいる。


ショートパンツから伸びた若い娘の脚は
蚊にとって恰好のご馳走になったのだろう。
虫除けスプレーなんてほとんど効果がなく
私の体は虫刺されの跡だらけだった。


たまりかねたある夜、枕元で蚊取り線香を
焚いて寝た。

真夜中。

強烈な頭痛と吐き気に目が覚める。

煙たい。

息をするのもままならず、這って部屋の外へ。


猛ダッシュでトイレへ駆け込み、止まらない
嘔吐に一晩中苦しめられた。


蚊取り線香による中毒だったのだ。


蚊はこうやって苦しみながら死んでいくんだ。
ごめんよ…うつろな目のまま、便器を抱えて
懺悔したあの日のことを今でも覚えている。


なのに、なのに。
つくづく、人間とは罪深い生き物だ。
こんな私だからこそ、男の子の行動を神々しく
感じたのかもしれない。


クモを潰さないように、両手でフワッと握る仕草。
嫌われ者の心をもそっと包み込んでくれるような
癒しを感じてしまう。絶対、優しい人に違いない
と思ってしまう。


娘の彼氏がそういう人だと知った時、ちょっと
嬉しかった。
あの時のクモは、男の子に出会えてラッキー
だった。彼にはきっと、クモの恩返しがある。


そう確信した。




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