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反抗期は怖くない



かすみさんの企画に参加します!


【企画】反抗期の思い出 教えてください|かすみ @kasumi25272527 #note 


*  *  *  *  *


私の両親は躾に厳しく、
とても教育熱心だった。


誕生日もクリスマスも、プレゼントは
本と決まっていた。マンガやテレビは
制限されていたし、毎日何かしらの
習い事に通っていて、日曜日しか
休みはなかった。


でも、両親は優等生で良い子の私を
求めていたから、それに応えることで
自分への愛情を確かめていた気がする。


そんな私にも、「思春期」という
嵐がやってきた。中学に上がった頃だから
ちょっと遅かったかも?


親の価値観でできている自分。
カッコ悪くて、ダサいことこの上ない。
それがたまらなく嫌だった。


髪型も洋服も習い事も何もかも
全て親が決めていたのだ。


おかっぱ頭じゃなくて
段を入れて(今で言うレイヤーね)
聖子ちゃんみたいにしたい。


ブリティッシュトラッドじゃなくて
もっと派手な色でポップな服が着たい。


習い事なんか辞めて、暗くなるまで
友だちとくだらないおしゃべりをしたい。


ある日、勇気を出して訴えてみた。
強い口調ではなく、
ちっちゃな声で。遠慮がちに。
そうしたら…


「何言うてんの」


私の挑戦は、一言の威力に砕け散った。


親の言う通りにしても、ちっとも
ハッピーじゃない。


やだやだ。一生このまんまは嫌だ。
変えたい。何もかも。


自由への渇望と、抑えつける親への
反発心が、指の先にまでみなぎる瞬間。
なんだかわからないけれど、
心に「火」がついた。


*  *  *  * *


ちょうどその頃、父が失業を余儀なくされ
母は昼夜を問わず働くようになった。


母の作るお弁当はオジサン弁当だ。
ご飯がやたら多くて、塩サバとか
煮物がてんこ盛り。食べ切れず
残して帰ってくると、叱責される。


「忙しい思いして作ってるのに!
明日から自分で作りなさい!」


口論の翌朝。
母は起きてこなかった。


うろ覚えの記憶を頼りに作った
サンドイッチは、ひどいものだった。
びちゃびちゃのゆで卵にマヨネーズを
ぶち込んだものだから、食パンは
シナシナでぺちゃんこになっている。


洗い物も散らかったまま急いで登校した。
サンドイッチは食べられたものではなく
友だちにおかずを分けてもらった。


お腹は空くし情けないし
明日からどうしようと途方に暮れた。


でも、意地っ張りな私は
「ごめんなさい」が言えなかった。


次の日も、その次の日も。
母は起きてこない。
頑として謝らない娘への抵抗なのか。


「くそーっ、自分でやってやる!」



その日から今日まで、結婚しても
ほぼ毎日誰かのお弁当を作り続けている。
もう十分に贖罪は済んだと
思っているのだけれど。


素直になれなかった娘を
許してもらえてますでしょうか?笑




*   *   *   *   *


その後も、私は反抗し続けた。


友だちに髪を切ってもらい
お年玉で好きな服を買う。
塾の日はズル休みして友だちの家で
おしゃべりをして過ごした。


自分のやりたいことをするって
こんなに気持ちがいいことなのか。
生きている実感に打ち震えた。


高校生になると、ファミレスで
アルバイトを始めた。もうお小遣いのことで
とやかく言われなくて済む。


バイトの先輩や仲間と夜遅くまで
話し込むのが、何より楽しかった。


そんなある日。


バイト先の男の子と付き合っていた私は
家の近所までいつも送ってもらっていた。
(高校生だから自転車です)


バイバイの前は、
誰もいない真っ暗な公園で
熱いハグとキス。
(キャー、ここ最大に勇気出しました)


その様子を、マンションの上から
両親が見ていた!!!!!


(ひー、恥ずい!恥ずすぎるー!)


帰った後のことは、想像に難くない。
ビンタとお説教をくらい、父がその場で
バイト先に電話する。


「今日で辞めさせてもらいます」


こうして、大事な居場所は
いとも簡単に奪われることとなった。




*   *   *   *   *


大喧嘩の後も、マグマの如く
フツフツと煮えたぎった反発心は
絶え間なく私をつき動かし続けた。


けれど、その間も母に代わって
家事をしていたのだから、私はどこか
ワルになり切れなかったのだろう。


学業と家事を両立しながら
「やらなくちゃ」という健気な気持ちと
「なんでやらなあかんねん!」
という怒りの間を行ったり来たり
していた気がする。


母も私も「ごめんね」「ありがとう」
言えない人だった。不器用で強情で
それゆえにぶつかったのだろう。


そんな私も三児の母になった。
我が子を抑えつけるような育て方は
するまいと誓っていた。


例え反抗期を迎えようとも
「どっからでもかかってこんかい!」
と腕まくりしていたのだけれど…


あれ?


うちの子たち、あんまり反抗しない。


一番下の息子も高3。
もう壁に穴は開かないかも?


ため息をついたり口ごたえしたりは
あっても、あんな激しいエネルギーの
放出は見られない。


*   *   *   *   *


思春期の子どもは、豪速球を投げる
ピッチャーみたいなものだ。
球が親の体に当たると痛い。


でも、硬い鋼で構えていると
思い切り跳ね返る。
受け止めることなんてできない。



私は低反発枕を目指したい。
指で押すと凹むけど、じわーっと
元に戻ってくる、あれだ。


どんな乱暴な球も、その柔らかさで
勢いを緩めるからだ。そうしてやっと
こぼれ落ちた球を拾うことができる。


娘は私にも夫にもさほど反抗しなかったが
祖母(夫の母)には敵意をむき出しに
していた時期がある。


過剰に心配し、「女の子なんだから」と
古い価値観で縛ろうとする人なので、
当然平成生まれの反感を買う。


それを見た私は
「カエルの子はカエルだな」と苦笑い。


金髪、ピアス、朝帰り…
おばあちゃんには刺激が強すぎたかも。


でもね、敬老のお祝いカードには
かつてこんなことを書いていた。


「なんか無性にイライラしてしまって。
反抗してごめん。いつもありがとう。
本当はおばあちゃんが大好きです」


トンビが鷹を産んだかもしれぬ(笑)


大丈夫。
本質を見る目さえあれば
我が子の反抗期は怖くない。





















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