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新規事業畑の私が転職してアニメの制作進行に出戻る話

おはようございます。

私は2月で今勤めているタイの会社をやめようと思います。
まだ退職の意は正式に伝えておりませんが、社内では転職活動が活発に行われているので話やすく、代表以外の誰もがお互いの転職についてよく知っています。
この会社には1年4ヶ月くらいでしょうか、勤めました。

私の経歴は以下です。

インターン1:プライム上場の有名ゲーム会社
インターン2:当時勢いのあったゲーム会社
新卒:アニメ制作会社(ゲーム会社に入れなかったから仮面就活をする)
第2新卒: 憧れのゲーム制作会社に入る
 ※入社してすぐ大きなプロジェクトがサ終し、退職することに。
現職  製造業
 ※ゲーム会社は業績変動が激しく使い慣れてない人材を切ったり
  入れたりの繰り返しだと知ってから目指さなくなった。

前の職場はやりがいを感じられる部分もありましたが、業績の悪化によりいくつかの事業が衰退し、社員数も減少しました。私も契約社員でしたので、担当していた事業がなくなったため、半年で退職することになりました。業績の悪化の原因は、新しいゲームの人気が思ったように上がらなかったことです。
上長にはあなたの頑張りはこうでした、次はこういう風にもっと頑張ろうと激励されて辞めることになりました。

現職の退職理由

退職日の次の日から受け入れてくれたのが現職でした。
業務内容は前職同様タイのバンコクに勤務し、IP(キャラクター)ビジネスを行うことで、道半ばで前職実現できなかったことをまたやれたのでやり甲斐がありました。
ですが、大幅な円安が続き、貿易業でもある現職も入社して半年くらいで創業初めての赤字になりました。赤字にはなったものの最高売上は更新していたようで社員の皆さんはいつものワークをいつも以上に頑張っていたと思います。※経営や経理、労務などは社長が一人でやる方針。
赤字を境に、私のやっていた、まだ知名度が低く収益化が見込めていなかったIPビジネスも打ち切りとなり、今は発売して間もない在庫の委託営業や事業のお片付け作業をしています。10月くらいから「他に向いている(経験)職種がうちにない、年明けから内勤になり給与を下げる、ボーナスは誰にも出せない、進退を考えて欲しい」と代表に言われていました。結局給与は下がっておらず、ボーナスも出たのですが進退については言われた通り準備しました。

ボーナスなしだとか給与出せないと言われるたびに、最高売り上げを更新してきた社員たちはみんな「もう私たちやめたほうがいいのでは」とざわざわし、私は上司に「20代だし、やりたいことが他にあるのなら無理しないでやめた方がいい。進退を考えてと言われたからやめたは正当」とアドバイスを受け、転職活動を始めました。始めた矢先、なかなかうまくいかなかった話は以下のnoteです。タイ現地採用に興味がある方は是非一読ください。


バンコクを拠点にしたオンラインでの日本向け転職活動

そんなこんなで結局日本の会社を受け始めました。
プライム上場の大きなゲーム会社から内定をもらいました。
あとはアニメ制作の内定を何個か。
私は今回で3回目の転職で、履歴書的な部分で不安でしたが、
「アニメ制作を日本でやってから、2年くらいもう一つの母国でワーホリしてたってことだよね?」と言った印象で受け取ってもらえ、苦労はしませんでした。

大きなゲーム会社に入ろうと思った矢先、年末の体制変更でポジションごと消滅してしまったようで内定が取り消しになりました。
誰もが知ってる大きな会社で、家からも近く、忙しくてもやりがいを持って今度こそちょっとの業績不振で切られず大企業で長く働けるぞ!と意気込んでいただけに残念でした。条件面談までしたのに・・・・。

それで何個かあるアニメ制作の内定の中から一番興味のあるCG分野を学べそうな会社に入社を決めました。
なんでCGなのかというと世界中どこ見ても今更手書きのアニメなんてほぼ存在しないからです。働き口の数の問題と、将来余計になくなることを考えての選択です。
タイでもアニメ制作会社を探したのですがどこもCGばかりで、私の知っている作画や原画マンの知識は全く役に立ちません。
数年後またタイに戻って今度こそ活躍したいという執念を見せた僅か20分間の面接でしたが内定してもらえました。

もちろん給与は下がりますし、簡単に家に帰れなくなるでしょう。
それでも外国で初めての一人暮らしをして友達0、土地勘0から始めた時と作画のアニメ制作会社で働いていた時精神的におかしくなりそうだったのはどっちかというと前者です。

私のよかったところは勤続年数が各短い割にその時々の目標が明確でやりたいことが決まっていて、思考がとっ散らかっておらず芯を持っていたところです。
多分そこだけが採用側の決め手というか、あとは採用側が知らないし、なかなか手に入らない外国のアンダーグラウンドなサブカル知識を持っていて話が面白いからだと思います。

理屈っぽい私が大事にしたい価値観は意外にも「利益追求」ではない

制作進行に戻ることへの今の気持ちとしては、自分は体力に自信があるのですが、精神の方が病むとかではなく虚無(思考放棄した使えないロボット化)になりやすいという意味で弱いので自信は全くないです。

ですが2年間利益の追求のようなサラリーマンぽいことをして思ったのは、
作ったものを売るより作る方が好きで数字を追うのは大事だけども、自分にとって大事にしたいことがもっと他にあるということ。

私はビジネスで数字を追うよりもSNSで数字を追うことがもっと好きじゃありません。
(SNSのフォロワー数はZ世代ならではのヒエラルキーには必要なものなのでしょうが、私は人の見られているとか、支持されることを痒く感じてしまうのでフォロワーが増えるとアカウントを消す癖があります。)

私にとっての社会との繋がりというのは外面的なものではなく内面的なものが大きいです。友好における相手はインフルエンサーや社会的地位の高い人でなくて大丈夫。
それよりも共通点があったり、喧嘩しても話し合える方が大事なのだと気づきました。
アニメ制作はビジュアルを作る外面的なものに見えますが意外とそんなことはありません。絵が上手い人に仕事が多いのは当然です。でもそれ以上に過酷な現場を生きるための助け合いだったり、励まし合いだったりの上で関係が成り立つ商売です。

自分がサポートした人に私のことを好きになってもらえたら嬉しい。

以前障害者支援施設で働いている方と仕事の話になったんです。
もちろん原画マンとは違って、目を離していたら危ない目にすぐあってしまうような方々が職業を学んでいるようです。

ですが仕事の内容は結構似ているなって思って。
スケジュールを組んで、予算を決めて、利用者さんの身の回りの整理をしたり、必要な素材を用意したり。

アニメ制作を経験された方ならわかると思いますが、ほとんど同じです。

付け加えるとしたら
アニメ制作をしていると、自力でスタジオまで行けなくて送迎が必要だったり、ペットボトルやコンビニ弁当でグチャグチャに汚れた机を掃除したり、他の原画マンさん同士がうまくコミュニケーションができず制作進行が喧嘩の仲裁をしたり。突然スタジオからいなくなる人がいたりしますよね。
障害者支援施設でも似たような業務が発生しています。

そういった人のケアをすることは私は好きなんです。イライラしません。
けどこれがアニメ制作が帰れない仕事になる原因でもありますが。

私は以前スポーツジムで3年間アルバイトをしていました。赤ちゃんから社会人、尿意をコントロールできないおばあちゃんまで、様々な方に接してきました。皆さんの健康な生活をサポートするお手伝いができて、とても良い経験でしたこれもコロナがなければ長く続けたかった仕事の一つでした。世話焼きという職種が向いています。日常でもお節介で、お節介すぎて嫌われることも多々。

絵のことは正直あまり分かりません。
指示通りにできてるかできてないかはわかるけど、上手いとか下手とかもあんまり分かりません。センスないです。みんな異なる個性あるなって思います。テレビ見てて何々さんのカットかな、参加してるのかなとかは見抜けます。

構図がオシャレとかっていうセンスがないので演出とか監督には多分なれないだろうな〜って思います。
だけどアニメを作る原画マン、監督、演出、色設計、動画、検査、声優などのクリエイターさんとサポートを通して関わるのが好きです。自分の不甲斐なさも他にはない味わい深さもわかってきます。

死ぬほど過酷な日々を思い出すといまだに泣きたくなるので
長く働ける自信は全くないのですが、もう一度自分の価値観や未来像のために挑戦したいと思います。そしてまたいつかタイで働けたら嬉しいです。

長くなりましたが、そんな感じでアニメ業界に出戻りします。
関係者各位何卒よろしくお願いいたします。



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