吉原散策と大吉原展(GW台東区巡り)
こんにちは
今日は私が痩せたで話題(は?)の「GW吉原観光」について日記的に記事を書きたいと思います。
ことの発端は「浅草を散歩したい!」と父にごねたところから。
ティックトックで話題の櫻田のすき焼きランチが食べたいよ~となりました。
並ぶかな?と思ったので開店時間に行きました。
天皇献上米を贅沢に窯で炊き上げており、とてもおいしかったです。
(献上とか御用達ってつくものは大体誰にでもおいしいのってなんなんでしょうね)
肝心のすき焼き。野菜のボリュームは控えめに、どちらかというとお肉がたくさん入ってました!一見お鍋が小さいように見えますが、20代女子の私も60代の父も満足のいく量でした♪
観光地で1500円、ずいぶんコストパフォーマンスがよろしいのではないでしょうか?また来たいので値上げはご勘弁・・・!
続いて、浅草に来たら甘未も食べたいよ~となるわけですよ。
実はバンコクにいたときバンタットン通りの美雪という甘味処のクリームあんみつにはまっていました。
タイに住むまで私はあんみつを日本でも食べたことがなかったので、
そのおいしさに衝撃をうけて通っていました。
日本のことが好きなタイ人の方が経営するお店で、店内はとても清潔で日本のアニメのフィギュアが飾ってあったり、体験用の浴衣を着ることもできます。日本に帰国する前、タイで買いためてた大量のコスプレ衣装を捨てるくらいならと寄付させていただいたお店でもあります(邪魔にならないといいな・・・)それはおいといて
櫻田の道路わたって向かい側の甘味処で、あんみつを食べました。
タイであんみつって1000円くらいだったのであんことか輸入すると高いのかなくらいに思ってましたが、日本でもそのくらいの値段なんですね。
こちらもとってもおいしかったです。
いづ美というお店で、店内はモダンな雰囲気。
竹が生えてて席によってはちょっとインスタ映えです。
ホームページの写真が荒いのがちょっと残念ですがこちらも一応URLを。
本当は話題の柴犬カフェに行きたかったのですが何時間も待つことになったので今回は断念。
いざ、吉原へ!
さあ、ようやく(思い付きで)吉原に向かいますよ~!
父も私も人生初の吉原。
(父が一人で行ってたらそれはそれで嫌ですが笑)
台東区の「めぐりん」に初乗車!
コミュニティバスとしてはどの区よりも優秀な気がします。
本数が多いのはもちろんですが、様々な行先のバスがあり、
しかもそのバス同士のルートが入り乱れてるので乗り換えが非常にしやすいのです。助かる~!
各地域できることなら見習ってほしい。
東京ではないのですが金沢の中心地を巡回するコミュニティバスも「めぐりん」形式だったような・・・
昨今、「鬼滅の刃」などの映像作品で世界中でもすっかり有名になった、吉原という地名。実は今は使われてません。今は千束といいます。
女たちの悲しい歴史の町として知られているからかでしょうか。
詳しい理由はわかりませんが、近くの山谷という簡易宿泊所の多い地域も日本堤という名前に改められました。山谷についても少しだけお散歩してきたので後で書いていこうと思います。
さて、吉原地域は令和のこの時代どのようになっているのでしょうか・・・?
※ここから先、地元の方を不快にさせていたら申し訳ありません。
まずは父がいきたがっていた、吉原神社へ。
「めぐりん」の中で、『吉原の隅?には必ず神社があってね』と力説されました。父は暗渠とか古いトンネルとかが好きで、いつもネットで調べてるんです笑
吉原神社に行く際は「台東病院」という大きな病院の前にバス停があるのでそちらで下車してください。(かの有名なS字もそこでおりてね)
やはり、GWもあってか観光できた若い人が多いですね。
御朱印をしてもらう人が鳥居の奥で並んでました。
これは外観ではあるのですが、中もこの位置から見えてる範囲ですべてです。思ったよりもこじんまりとしています。
境内には上野で開催されている「大吉原展」のポスターがはってありました。これを見て、なるほどここにいけば資料がたくさんあるのかなとは思いましたが、この時点では絶対行こうというところまで気持ちはなかったです。
境内には2匹のアゲハ蝶が交尾中なのか、そろって危うげに飛翔していました。なんとも切ない気持ちになりますね。アゲハ蝶の勝手なイメージですが、きらびやかな女性というイメージがあり、この地で江戸や明治期に働いていた女性たちに思いをはせてしまいました。
つづいて有名なS字カーブを曲がって少ししたところに吉原神社の飛び地でしょうか。吉原不動に参拝しました。
このS字カーブ、なぜ有名なのか知らない人のためにご紹介しておきます。
道がS字になっているとS字のスタートからはゴールが絶対に見えません。
吉原は外部から中の様子が見えなくなっていたんですね~。
吉原不動にはもともと大きな池がありました。
今はなごりなのか鯉を飼育している小さな池が境内の奥のほうにあるのみ。
関東大震災のときに被災した人々が、おそらく火事のやけどで熱くてたまらなかったのでしょうね。この池に500人くらい飛び込んだそうです。
そのときの犠牲者を供養するために建てられたのが写真の「吉原観音」です。
境内には関東大震災時の吉原の写真などの貴重な資料が展示されています。
もちろんネットで検索して同じものを見ることができるのですが、現地にきたからこそ感じる痛々しい臨場感というものがあります。
ていきます。
今回は長くなってしまったので、この話はまた次回につづきます。
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