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横浜への憧れ

 横浜が好きだ。横浜という名前の響きも好きだし、日帰りでぐるりと一周できてしまう街の規模も雰囲気も、どこか遠くへ航海出来そうな海も波の音も、全て大好きだ。いつか横浜に住みたい、そう何年願ってきただろう。

 横浜への最初の憧れは、中学生の時に再放送で見た『スウィート・シーズン』がおそらくの始まりだったと思う。『スウィート・シーズン』とは、松嶋菜々子と椎名桔平が主演の、不倫と家族をテーマにした恋愛ドラマだ。

 少し話は逸れるが、2003年第1クールのドラマ『美女か野獣』をきっかけに当時、松嶋菜々子がとてつもなく大好きだった。寝ても覚めても彼女に憧れ、彼女みたいな綺麗なお姉さんになりたいと、毎日のように願って過ごした。今ほど情報が手に入りにくい時代だったが、本屋で彼女が表紙の雑誌を見かければ迷わず買ったし、周りにも公言していたので、友人たちが買ったテレビ情報誌などに彼女が載っていれば「取っておいたよ」と切り抜きをくれた。そうして集まった切り抜きたちはファイル2冊ほどになり、彼女への熱がとうに覚めた今見返しても、若き日の美しい彼女が心を掴んで来るので、どうしても手放せずにいる。

 さて、『スウィート・シーズン』は、そんな菜々子熱に侵されたわたしが、彼女の出演ドラマをすべて網羅しようと、地元のレンタルビデオ店や隣町のツタヤを渡り歩いていた時に出会ったドラマだった。先ほど再放送で、と書いたが、実は定かではない。出会いは再放送だったような記憶がしているが、おそらく全話を初めから録画できなかったのだろう、何度もツタヤに走ってビデオを借り、自室のレコーダーにせっせとダビングしていた記憶は間違いなく残っている(当時DVDも普及し始めていたが、ロックがかかっておりダビングできず、その点ビデオはセキュリティが緩かったので簡単にダビングできたのである)。

 正直なところ、菜々子氏の顔面だけでいうと『やまとなでしこ』や『美女か野獣』のほうがずっとタイプなのだが(え?聞いてない?)、当時24歳の彼女:真尋は大層初々しくて可愛らしく、そんな彼女が職場の上司:後藤課長(椎名桔平・既婚)と恋に落ち、人ならぬ道に外れていく様は、憎いところで挿入されるサザンの主題歌『LOVE AFFAIR~秘密のデート』による衝撃的なほどのロマンチックな演出も相まって、幼気な中学生の胸を踊らせるのには十分魅力的であった。

 当時ダビングしたものは、レコーダーの機種が変わりとっくに再生できなくなってしまったので、大人になって公式のDVDBOXを手に入れ、今でも年に一度は見返している。真尋の年齢をとっくに過ぎた今の自分が見ても、やはり各話クライマックスは最高にドキドキするし、真尋の可愛さは破壊力抜群だし、主題歌は強烈にロマンチックだし、なんと稀有なドラマだと思う。名作は色褪せないとはこういうことを言うのだ。

 いつの間にか二十年も昔のドラマの番宣記事みたいになっているが、このドラマの舞台が何を隠そう横浜なのである。横浜に生まれ育った主人公たちの、横浜で繰り広げられる愛憎劇だ。DVDの冊子に載っている演出家:福澤克雄氏の言葉「まだ誰も撮っていない横浜を撮りたかった」という言葉がとても印象に残っている。ドラマに出てくる横浜は限られていて、雑多な中華街と工場地帯、そしてメインはバー「スウィート・シーズン」。あの万国橋と電飾で飾り付けられたビルに、どれほど憧れたことか・・。橋は海にかかっているので、もちろん「海」も出てくるけれど、あまりドラマの前面には出てこない。ドラマに出てくる横浜は、いわゆる「横浜」と聞いて想像するような青い空と海、キラキラの夜景、外国船、山手の洋館エリアなどといった、心躍る横浜の風景ではない。そこがおそらく「まだ誰も撮っていない横浜」を切り取った、このドラマの最大の魅力なのだろう。

 出会いから二十年弱、横浜への憧れは薄れるどころか、年を重ねるごとに心の中にも同じように積み重なっている。実家が品川の方だったので、横浜は特急に乗れば30分もあれば着いてしまう日常の延長のような土地のはずだった。しかしながら、中学生のわたしにとっては1-2年に一度家族で車で訪れるような特別な場所であり、おそらくそれが知らずのうちにその憧れを強くした。実際、最初に仕事をした街は偶然にも横浜だったし、職場を離れた後もよく遊びに行った。今は東京の北の外れに来てしまったので、横浜はずっと遠くなってしまったけれど、それでも年に数回は訪れている。そして行くたびに、横浜に住みたい、と思う。横浜にお邪魔しに行くのでは無くて、横浜の一員になりたいのだ。

 転職の時、毎回横浜の会社を探す(既に二度転職している)が、横浜に拠点を置いている会社は多くない。わたしは体力がないため、プライベートな時間と体力を確保できる「職場の近くに住む」がかなりの重要事項であり、横浜に住んで東京に通勤することは考えていない。だから、横浜に暮らすには、横浜で生活の糧を見つけるしかないのだ。これまで譲らずにきた「それなりに基盤のしっかりした会社の正社員」にこだわらなければ、それは十分可能だと思う。そんな生き方もありかもしれない、と最近は考えている。もし近い将来、横浜に住むことができたら、それまでの過程と横浜での暮らしを、是非語りたいと思う。


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