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デザイナーを続けている理由、作っているものへの想い。


私は新卒から6年目のグラフィックデザイナーです。
ある日の職場の朝会でこんなことがありました。

(ちなみに上司はクリエイティブ職ではありません。)
私は(突然すぎる)とおもいつつ、
「高校生のときにグラフィックデザイナーに憧れて大学を選び、最初はCDのジャケットとか華やかなもの作るのに憧れてたんですけど、インターンでチラシ等の細かい1mmを直す調整や地味めの作業してるうちに、日常のかけらみたいなものを作るのが面白くなったからです」
と答えました。

これは実はデザイナーになった理由よりも、続けている理由の方に重きを置いた回答で、そのとき初めて続けている理由をはっきりと言葉にしたことに気づきました。

なぜデザイナーになったの?どうやってなったの?と聞かれることは多いですが、続けている理由を考えたことはなかったのです。それは大きな挫折や諦めざるを得ない理由が生まれなかった結果でもあり、幸せなことなのですが、改めて腰を据えて書いてみることにしました。

まず、デザイナーになった理由


わたしのデザインの原点は待受画像です。
ガラケーの待受のポエム画像って覚えてますかね。知らない世代も多いかもしれませんが・・・当時の携帯画面は320px × 400pxとかで、めちゃくちゃ小さい。解像度も荒い。それでも当時は小さいキャンパスで表現することがとても楽しかったです。
幼少期にお絵かきが好きで買ってもらったペンタブを中学生になっても使い続けていました。当時パソコンに慣れ親しんでいる子でもペンタブはもっていなかったため、クラスメイトのカップルの名前と記念日を書いた画像をプレゼントしたり、合唱コンクールの前にスローガンを書いたクラスカラーの画像を配布したり、そんなことをしてささやかに注目と尊敬を集めて楽しんでいました。
また、当時は歌詞画像という歌詞を丸っこい文字で書いた待ち受け画像なんかが流行っていましたが、「著作権侵害だからそういうのは作らない」と豪語していました。(地味にリテラシー高い中学生)
高校生のころは自分で携帯サイトを持ち、自分で撮った写真などをPhotoshopで加工し素材から作って待受画像を配布してました。

本格的にデザイナーになりたいと思ったのはインターンの後でした。
大学生のときに小さな制作会社にインターンシップに行き、チラシの制作で細かい1mmの調整を繰り返す作業をしてはじめてデザイナーが華やかな仕事ばかりではないこと、華やかな仕事にも恐ろしい量の地味で繊細な仕事があることを知りました。(ここにギャップを感じてやりたいことではない、と辞める人は新卒の頃に多いように感じます。)
大手広告代理店は受けず小規模の会社を受け、最終的に小さなカタログ制作会社に内定をもらいました。
晴れて、「グラフィックデザイナー」という肩書きが入った名刺を手に入れます。

作っているものとそれに対する想い

転職を二度していますが、会社を辞めたいと思ったことはあっても、デザイナーを辞めたいと思ったことは記憶する限りないです。
振り返って成長を感じられないときやうまくいかない時はめちゃくちゃつらいし、アーティストの新曲ジャケットの制作など華やかな仕事の報告をSNSでする同年代のデザイナーに焦りを感じることもありましたが、自分はそういう仕事をする環境・状態にそもそも身を置いていない。「クレジットがない仕事」をしているゆえに「クレジットに名前が載る仕事」に憧れていたのです。後に、フリーの仕事で演劇フライヤーをつくりクレジットが出ることへの憧れを達成できました。


今は、目指しているクリエイティブの方向性が全く違います。
冒頭に「日常のかけらみたいなものを作るのが面白くなった」と書きました。
私のいう日常のかけらとは、誰が作ったかなんて意識されないようなクレジットのない制作物のことを表しています。

例えば、新聞折り込みチラシ、通販カタログ。
百貨店や通販会社に赴き、何度もオリエンを重ね、商品を一つ一つ撮影し、デザインし、校正、入稿、再入稿…時間をかけて一枚のチラシ、一冊のカタログができます。
電柱広告も作りました。電柱広告は公道に出せる唯一の広告です。むしろ看板だと思っている人の方が多そうですね。条例に基づいた色のみを使用していて、街づくりの一環でもあり、通行人やドライバーに即座に認識させるため、わかりやすさが最も重要な媒体です。
そして今はWebサイトの下部や画面遷移時、TwitterやFacebook、LINEなどのSNSに流れるバナー広告やLP。特にSNSにおいては見たいものだけフォローしているタイムラインに表示されるため、邪魔者扱いをされることがよくあります。自分の作った広告にいわゆるクソリプがついているのを初めて見た時はややへこみました。(今は、わざわざ反応してくれてありがとう!エンゲージメントって大事なんだよね!感謝!って思ってます。笑)

通販カタログは、どんなにデザイン的に良い誌面にしてもそれによる売れ行きの良し悪しを知る機会がありませんでした。電柱広告は年単位で使われますが、広告効果が測れないことと条例による表現の限界(例:東京都の電柱広告は決められた色の中の4色しか使えない)もあり、広告表現でトライ&エラーする機会がほぼなく基本的に作って終わりでした。現在は作ったバナーの効果がすぐに数字でわかります。効果の良し悪しが見えるのが早く、1週間程度で使われなくなることもあります。



デザイナーをつづけている理由

どれも「作品」っぽくはないですよね。グラフィックデザイナーの作品例というとロゴやブランディングや何かしらまとまったビジュアルなどを想像する方が多いんじゃないかと思います。ポートフォリオ映えするものは少ない方だと思います。(しかも社外秘データが多い)
新卒から6年、消耗品の薄い紙や実態のない画像の広告を作ってきました。誰かに大切に手に取っておいてもらえるようなものは業務で作ったことはなく、誰かにすごく感謝されるようなものでもなければ、生活がすごく便利になるものでもありません。見えないこだわりがたくさんあり、でも、一瞬で無駄になることもあります。
何かを手に取るときの文脈の中にさりげなく組み込まれるような、生活の一部、日常の風景を描くようなものを作れていることに今はとてもやりがいを感じます。


すべての広告、販促物は誰かが作ったもの。皆さんの日常にいつもおじゃまさせていただいています。
百貨店のチラシを見たときに「これら商品の写真はどのように撮られたのかな」とか、電柱広告を見たときに「確かに色数が限られているな」とか、バナー広告を見たときに「モデルさんのこの表情や衣装を選んだのはどういうシーンに見せたかったのかな」など、
よかったらぜひ、どのように作られて今自分の目の前にあるのかを考えてみてください。